【前回の記事を読む】【ミステリー】「お前の母ちゃんむちゃかわいいやん!」四十一歳の母は美人で自慢の母親。彼女と接すると優しい気持ちになれる――
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昔舞子が信之に語ったところによると、彼女は府立高校を卒業後、専門学校で洋菓子作りを学んだということだった。一旦は大阪府内の高級ホテルに就職したが、その数年後、フランスに留学した。その目的はもちろん、洋菓子作りの修行をするためだった。つまり、舞子は根っから洋菓子、特にフランスの焼菓子が好きなのだ。
信之は物心がついた頃から、舞子が店の調理室でお菓子を作っている姿をずっと見てきた。そして、そんな母親の姿を誇らしく思っていた。
舞子はどこの洋菓子屋でも売っているようなフォンダンショコラやオランジェット、フロランタンを作るのも楽しそうだったが、創意工夫を凝らした新作を作っている時が一番楽しそうだった。
そのため、信之と彼の父親である泰生(たいせい)は、舞子の試作品をよく食べさせられたものだった。もちろん試作品なので、全てがおいしいというわけではない。
普通、マカロンにはガナッシュと呼ばれる、溶かしたチョコレートに生クリームを加えたものを挟み込むが、ガナッシュはチョコレートと生クリームの割合によってその柔らかさが変わってくる。固さの違いは加える生クリームの分量に左右され、生クリームが多いほどガナッシュは柔らかくできあがる。
舞子はそんなことを信之が保育園児の頃から話していたので、彼は同級生から驚かれるほどに洋菓子作りに関する豆知識を持っていた。
舞子はガナッシュに関して相当な試行錯誤を重ねていたらしく、時には、板チョコを挟んだのかと思わせるような固いマカロン、バターをそのまま挟んだとしか思えないような味がするマカロンを食べさせられたこともあったが、お世辞にもおいしいとは言えなかった。
息子や夫がまずいと思う時は舞子もまずいと思うらしく、そんな時はいつも家族三人で笑って誤魔化したものだった。
また、舞子はお菓子作りに限らず料理全般もうまいので、おいしい食事が出されることが当たり前のようになってしまっていることを信之は自覚していた。
先ほどの母親との会話を反芻して、信之は「ほんまにうまいよなあ」と改めて思いながら、最後の一口の目玉焼きを口に放り込んだ。彼は両手を合わせて「ごちそうさま」と言うと、ダイニングを出て階段を上がっていった。
自分の部屋に戻って信之が掛け時計を見ると、時刻はまだ六時四十分だった。自宅から中学校までは、徒歩で二十分もかからない。学校に着いてから運動着に着替える時間を考えても、家を出るのは七時でいい。