つと立ち止まると、その男と目が合った。どこかで会ったことがある。そのとき幼い童子が家から走り出てきたという。さりげなく互いに目だけで会釈して通りすぎたが、あんちゃんを認めた一瞬、男の右手が左腰にのびた、という。
その姿が目の裏に焼き付いたというのだ。腰に刀を手挟んでいなくとも、武家という者はとっさにあの構えをとるものなのだなあ、と思ったという。
そこに住むのが片倉久米介どのであり、仕えているのが西村孫之進と吾妻佐渡であることは、数日もかからず調べがついたという。あの童子が久米介どのとは思わず、久米介どのの子息であろうと思っていた、と。
「あんちゃん以外にも不審に思っている者がいるか?」
「いや、耳にしたことはありませぬ。片倉久米介どののお名前を知っている者も、少なくとも拙者の周りにはおらぬと存じまする」そんな秘密を、この田助はかぎつけた。
森の中がほのかに明るくなってきた。急がなければならぬ。
あんちゃんが重い口を開いた。
「ひとまず難を避けましたが、相手は二の矢三の矢を射るつもりでいましょう。この男も辛いお役目でしたろうな」あんちゃんはおのれが斬った田助のなきがらに手を合わせた。
「いや、どうであろう。案外何も考えていなかったのではないかな」
「その時その時で、幕府にも片倉家にも忠義者になることができる、器用な男なのかも知れませぬなあ。わが目は節穴でござりした。せがれめが慕っておりましたが ……。なによりも、家中でも知る者の限られた秘密を、どこからどのようにして集めたものか、案じられます。家中にはまだ片割れが残っていましょうな」
男は大坂城が落ちたとき、片倉勢の陣中に自ら投降して田助と名乗った。西国のさる武将の下士だったと言ったが、その武将の名を知るものは伊達家にも片倉家にもいなかった。
だがあの当時は何の疑問も持たなかった。なぜなら、大坂城は有象無象の食い詰め牢人たちの溜まり場でもあったのだから。
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