「う~っ」うなる声は仔犬の可愛らしさが際立っていたが、源五郎は身を起こし太刀を引き寄せた。

戸の外に誰かいるのか……片膝をつき戸外の気配を窺う。

その緊張感とは裏腹に、旅籠の中は規則正しい寝息と鼾に包まれている。

暫くすると、つき丸はうなるのを止め、舌で鼻を舐めながら源五郎を見た。

源五郎は小声で聞いた。

「誰か怪しい者でもおったのか?」

つき丸に応える術があろう筈もなく、やむなく頭を撫でてやっていると、ふと指扇の市で見かけた牢人の姿がその脳裏をよぎった。

よもやあの牢人が俺を討ちに来たのか? 何故か? ……そこまで恨みも禍根も残してはおらぬ……と源五郎は高を括り、深く考えぬようにして再び眠りについた。

  

月明りが辻を照らし出し、それほど歩くのも困難ではない城下道を一人の牢人が歩いている。

厄介な……あの犬に気取(けど)られてはしようもない。

気配を消し闇夜に活動する事に長(た)けている者でも、鋭い犬の知覚には敵わなかった。

犬のうなり声で、あ奴も目を覚ましていた……急ぐ事もあるまい……。

戸内の気配を感じ取った夜の闇に塗傘を被る牢人は、禍根を絶つべく深夜に事をなそうとした猪狩の姿だった。

    

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