躑躅ヶ崎館(つづじがさきやかた)
武田家の本拠地、躑躅ヶ崎館。
甲府盆地の北端にあり、東西を川に囲まれた扇状地に位置している。背には詰城(敵に攻め込まれた時、籠城するための城)である要害山(ようがいやま)城がある。
館と呼ばれる理由は、京の将軍邸のような優雅な造りで、他の戦国大名が造った堅牢な城とは違うものであったからである。
武田信玄の名言に、「人は城、人は石垣、人は堀」という言葉がある。これは、立派な城を造るより人材を強化した方が良いという信玄の考えであり、その言葉通り信玄は生涯、大きな城を造らなかった。
その躑躅ヶ崎館の"くノ一養成所"で、北信濃、川中島の戦いから帰ってきたばかりの女忍者頭目、望月千代女と椎名杏が話していた。
「お館様は、戦いの帰りに隠し湯に寄って、戦場で受けた傷を癒しています。先の戦いは、大変な戦いでしたね」
武田くノ一頭目の望月が杏に話しかけた。
「本当に大変な戦いでした。信玄公と謙信が一騎打ちをしたとは驚きです。弟君(おとうとぎみ)の信繁様や軍師の勘助様、多くの重要な方々を亡くしました」
二年前の六月に、この武田館(やかた)に来た杏は望月に応えた。
「それにしても、杏には驚いたわ。貴方が、『二歳の娘を養成所に預けて戦いに行きたい』と言った時は」
「いつも我がままばかりを言って申し訳ありません。望月様に助けて頂いた御恩に報いたくて」
杏が二年前の六月に、このくノ一養成所に来た時、お腹には子が宿っていた。
その年の九月、ここ躑躅ヶ崎館でその子を産んだ。
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