海津城(かいづじょう)

八幡原(はちまんばら)の大激戦(川中島の戦い)

九月十日の早朝、八幡原の深い霧が晴れた瞬間、強大(きょうだい)無比(むひ)の信玄の顔が曇った。湿地の川中島にいた水鳥が一斉に羽ばたいた。

「何故、今、上杉軍が目の前にいるのだ!」

上杉軍一万三千に対し、武田本隊は、軍を二手に分けたため、八千しかいなかった。また、追撃されて出て来る上杉軍を昼頃、挟撃する手はずであったため、出し抜かれた形になった。武田本隊に動揺が走る。

尋一が龍虎の決戦を見に、八幡原に到着した時、既に両軍の戦いの火蓋は切られていた。

敵にも味方にも見つからないように草むらに身を隠す。

「上杉軍と武田軍が死闘を繰り広げている」

今までの小手先の戦いとは全く違う、血で血を洗う戦いの様子を見て、尋一は驚愕した。

狂気に満ちた戦人(せんじん)たちが何度槍で刺されようとも這い上がる姿は地獄絵図そのものだった。この時代、戦国大名は、自軍の兵力が減ることを恐れ、滅多に決戦を挑まなかった。決戦をする時は、本当に追い込まれた時か、確実に勝利する時だけである。

戦国大名は、通常、兵を威力偵察に使い、敵の力を測る。その測った戦力を見比べながら、調略などを用いて、自分の勢力を拡大させて来たのであった。

尋一は”草葉隠れ”の忍術を使い、川中島の草むらに身を潜ませて、戦況を見守っていた。その時、以前、鎌倉で見た上杉軍武将、新発田重家の姿を見つけた。

槍と槍、刀と刀がぶつかり、カチャン、カチンと乾いた音が鳴る。刃の先端は鋭く、刃先はお互い相手に向いている。兵たちは切り込む手元を狂わせないように必死に動いている。