武田くノ一
「武田くノ一をまとめているのは、望月千代女(ちよじょ)という女頭目だ。そして、さらにくノ一を調べたのだが、どうやらそこに、お前の探している杏が所属しているようなのだ。わしの情報収集能力も凄いであろう!」
「あ、杏が武田くノ一にいるのですか? 鳶加藤と共に越後で暮らしているのかと思っていました」
尋一は、そう斎藤に応えながら考えていた。
─どういうことになっているのだろう。もしかしたら、鳶加藤の支配から脱出できたのだろうか?
尋一は、一筋の光明が差し込んで来たような気持ちになった。
海津城(かいづじょう)
上杉謙信が、関東の北条を攻めていた時、北条の同盟国である武田信玄は、謙信の背後を牽制するため、信濃北部の川中島に城を築いていた。
海津城(かいづじょう)と呼ばれた、この新しい城の城主は武田家武将、春日虎綱 (かすがとらつな)であった。
春日虎綱は、高坂昌信 (こうさかまさのぶ)あるいは高坂弾正 (だんじょう)とも呼ばれ、武田家四天王の一人である。
彼は、小姓の頃から信玄に仕え、二十五歳にして足軽大将に抜擢された。その後、信濃での戦いで活躍し、戦いの前線の城代を務めた。
今回は、さらに対上杉謙信用の最前線である海津城の城主になったのである。彼の真価は、味方が負けそうになる時、現れた。勝ち戦に逸(はや)る敵を前に味方を無事に逃がすという最後尾の役割、〝殿(しんがり)〟を彼は務めた。
殿は命懸けの役目であり、冷静な判断で、最善の策を用いて動かなければならない。その殿の役目を果たしていたことから、彼は〝逃げ弾正〟と称された。