尋一は、この討ち合いを武田本陣の陣幕に隠れて、息を潜めて見ていた。川中島の戦場を足音も立てずに見聞する。抜き足、差し足、忍び足である。特に敵本陣近くでは、かがんだ体勢で手のひらを地面に付け、両手の上に足を乗せて手ごと動いて進む深草兎歩(しんそうとほ)で移動した。

謙信に出し抜かれて、もぬけの殻となった妻女山の上杉軍に攻め込んだ春日虎綱ら一万二千の武田別動隊は、昼前(午前十時頃)、ようやく八幡原の武田本隊に合流した。この別動隊の到着によって、今度は上杉軍が挟撃される番となった。

戦況は、一気に逆転した。形勢不利になった上杉軍は、犀川を渡河(とか)し、味方のいる善光寺まで後退した。

追撃する武田軍も午後四時に八幡原から兵を引き、この一大決戦は終わる。

その後、謙信は、善光寺にいた五千の兵と共に領国越後に引き返した。

この戦いの上杉軍の死者は、三千。武田軍の死者は四千であった。草むらには防具をつけたままの死体が耐え忍ぶように遺(のこ)っていた。

武田軍は、信玄の弟を始め、多くの重臣そして、軍師山本勘助も失った。

局地的な戦いでは、謙信の勝利であり、川中島を死守したという点では、信玄の勝利であった。

謙信は、戦術的には優れた力を持っているが、戦略という大局的な考え方は、信玄の方が上回っていた。

尋一は何千もの死体がころがる側で、まだ生きている者もいるのであろうか、低くかすれたうめき声を聞く。槍がぶつかり合う音も無くなった血で染まる川中島を見渡しながら、大戦闘の恐ろしさを知った。足を動かそうとしても、動かすことができなかった。目だけを上下左右に動かせた。

その時、武田軍の中に白馬に跨り、頭に白い鉢巻きを締めている女武者の集団を見つけた。彼女たちは、猛者たちが集まる戦場で、異彩を放つ存在であった。

それは、白馬に跨る武田くノ一集団の姿である。

そして、その一団の中にあの見覚えのある顔を発見する。

そこには、尋一が最も愛した女性、杏がいた。

尋一は何年間も杏を探し続け、杏の姿を見るという光景を夢にまで見ていた。

「あれは、杏に違いない。生きていたのか。おーい。杏、杏!」

尋一は、心の中で叫んだ。武田方にとって尋一は、敵である上杉側であった。