突然の申し出に戸惑った顔を見せると、彼女ははにかみながら言葉を続けた。
「律くんの大学の敷地内に戦国時代に大きな屋形があったの。織田信長の家臣だった佐久間信盛の屋形だと言われているの。土濠か空堀(からほり)の跡があると思うから、確かめさせてほしいんだけど」
僕はさらに困惑をした顔を見せたと思う。
「わたしね。八事の歴史を本にしたいの」
いろんな思いを巡らせながら、僕はシフト表に目を落とした。心がすくんだ。でも沙耶伽のどこか真摯で真っすぐな願いを、無下に断ることができなかった。
「来週の水曜日は? 午前中なら講義もないし、沙耶伽も休みだろ」
「うん、ありがとう」
嬉しい時、目を細める仕草は子供の頃と変わらない。
大学に僕が着いた時には、もう沙耶伽は待ち合わせの正門に立っていた。
ラベンダー色の薄手のサマーニットにフォギーグレーのロングスカート。長い髪をなびかせ、手にはスケッチブックとバインダーを持っていた。清楚なたたずまいを見せる彼女を、学生たちがチラ見していく。
「大学に入るのは初めてなの。部外者でしょ。目立たないようにできるだけ学生に見える格好をしてきたつもりなんだけど。これでよかったかな?」
「十分過ぎるよ」
僕は笑ってキャンパスに入ることを彼女に促した。
夏休みが終わったキャンパスは、学生たちで溢れかえっていた。どんなに学生らしい格好をしても無駄に思えた。彼女の美しさは避けようがなく衆目を集めた。すれ違う男子学生のみならず、女子学生も横目で沙耶伽の顔を覗き込んでゆく。
校内の見取り図や敷地内の凹凸をスケッチに画き取る彼女の横で、僕は芝生に寝そべっていた。
「ごめんね、もう少しだから」
手持ち無沙汰の僕に、沙耶伽は何度も謝った。
「ほんとにいいの?」
スケッチが終わると、学食に彼女を招いた。