「サキコさん、病院からダンナに電話したんだ。帰ってる時刻を見計らってね。遠くから見てたんだけど、しくしく泣いてた。タクシーで自宅の前まで送った時、『やっと謝れた』って笑ったよ。笑ったら痛いらしくて殴られた方の目を押さえてた、眼帯の上から」

「被害者が謝ったの?」

と僕が訊くと、イチヘイはプラスチックのコップから冷水を一気に飲み干して、

「『いつまでパンばっかり焼いてるつもりなの』って言ったことを、やっと謝ることができたんだって、そう言ってた」

と言った。

七時過ぎに営業所に戻った。車をガラス扉の前に横づけにして、いつものように全員が中に入る。リーダーが今日一日で獲得した契約書を事務員に渡し、その枚数に応じた配当金が一人ずつに手渡される。サキコさんはいつも帰りを急いでいて、配当金を一番先に受け取ってすぐにいなくなる。イチヘイも後を追うように出ていくので、いつもユミと僕が残る。

配当金を受け取って外に出た時、

「あさっての午後、時間ある?」とユミが訊いた。あさっては土曜日で世の中のほとんどが午後から天国に変わる。僕はこれまでの人生において一貫して何よりも土曜日が好きだった。

「土曜日なら何でもOKだよ」と僕は答えた。

「それじゃ、つき合ってね」

とユミは言い、車に乗ってドンと、ドアを閉めた。

  

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