だがあの休暇を採ってから伊藤医師の様子に変化が現われた。第一に渋谷医師の診察室へ執拗に足を向けることがなくなったこと、第二によく長電話をするようになったことである。だが最も目についたのは渋谷医師に対して狎々しくなったことだろう。

彼は不意に渋谷医師の診察室を訪れると、わざとらしくヒュウと口を鳴らして新しい標本に近づいた。

「院長、これはクリーニングに出さん方がマシでしたな。前の方が味があった」

そんなことを言っては標本の肩を叩いたりした。にやにや嗤って目の底には独特の光があった。明らかに何かを隠していて、しかもそれを仄めかしているのだ。

渋谷医師には彼が失踪した骸骨の行方を掴めているのか否か判別がつかなかった。知っていても口にする男ではなかったし、知らなくても負け惜しみから今のような態度は取りそうだった。

いずれにしても渋谷医師の困惑を肴に、趣味の良くない態度を見せるのはさもありそうなことだった。

無論骸骨の行方は気がかりだった。だが連絡の取りようがないのだ。それで気を紛らすためにも、暫らく前からこの新しい標本とコンタクトを取ろうとしていたのである。

あの骸骨は隣の半身筋肉半身血管男も生きていると言っていた。だがそいつは臆病で、決して人前で本当の姿を晒すことはないとつけ加えた。だとすると、目の前の標本も生きている可能性がある訳だ。

それでもう一月余り、あるいはそれ以上も夜になるのを待って熱心に語りかけていたのである。だがこいつはまるで反応がなかった。伊藤医師はそれに気づいて揶揄っているのかも知れないが、そんなことはどうでもよかった。

今になってみるとあの失踪した骸骨が特例なのか、それとも目の前の標本が途呆けているのか、なかなか判定がつかないのだった。

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次回更新は1月10日(金)、11時の予定です。

 

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