それ以外に、1年生のときに、サイモン&ガーファンクルが再結成し、「My Little Town」をヒットさせました。私も深夜放送で聞き、いまでもカラオケで歌う思い出の曲となりました。
そして、スージー・クアトロ、スウィートなど、個性派のロックがまだ生き残っており、素敵な音を聞かせてもらえる幸運にも恵まれました。
このような流れで洋楽にも触れ、音楽に刺激を受けたときでした。なかでも、しみじみ聞いたのはカーペンターズです。生まれて初めて購入したレコードはEP版のシングルレコードでした。カーペンターズの「Only Yesterday」。いまでも大切にしています。
この曲も、言葉の意味はわからずに聞いていましたが、当時この曲を聞くと、なにか大切なものを失った人が、時間が経ってからそのことを回想しているのだと勝手に解釈していました。日本国内でもかなり売れたので、歌詞をカタカナにして、同級生と一緒に歌ったことを覚えています。一緒に歌ったM君、そのこと覚えているかなぁ。
また、「Only Yesterday」を聞くと思い出すことがあります。それは、学校のプールの授業のことです。通っていた中学にはプールがなく、夏休みの前にもあったのかははっきりしないのですが、学年ごとでしたか、夏休み明けに市民プールに何日か通って水泳の授業を受けました。
入学した小学校にプールがなく、小学校4年生のときに転校した学校では水泳が盛んであったことにより、水泳に関しては非常に劣等感を持っていました。
そのため、夏休み後半になると、休み明けの水泳の授業のことを思うと気持ちが沈んでしまうのでした。
あまりにもプールのことが気にかかるので、夏休みの終わりごろになぜだか市営の大きな公園の市民プールまで行って様子を確認しに行ったことがあります。そのときの、暑い日差しのなかを切ない気持ちで自転車をこいでいた時のことを今もはっきり覚えています。
それから、忘れられないのは、世界歌謡祭(ヤマハ音楽振興会主催)に出場した中島みゆきさんとの出会いです。中学1年になり、定期試験というものに少し慣れてきた、 1975年の11月のことです。
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