第2章 「独立自尊」

会社の傲慢さで全米的な不買運動に発展 ――「米国三菱セクハラ訴訟」

米国三菱はことの本質を全く見誤っていたとしか言いようがありません。セクハラを解決しようという姿勢を示すどころか、女性たちやEEOCの告発を力づくで抑え込もうとし、それをデモにより自ら全米に知らせてしまったようなものでした。

抗議運動から約ひと月が経った1996年5月、同社はやっと重い腰を上げました。収まる気配のない全米的な抗議運動を前に、たいへんなことが起きている、今までの対応が間違っていたと初めて気づいたのでしょう。

下院議員を団長にした第三者の委員会を設け、翌月に「理想的な職場環境」を作るための改善策を出しました。

2つの訴訟については和解を提案し、29人の女性とは1997年8月、総額950万ドル(12億円)を支払うことで和解、EEOCとの訴訟は1998年6月に3400万ドル(44億円) で和解しました。また、セクハラを行ったとする19人の従業員も解雇しました。

終身雇用のもとでの日本の従業員は〝籠の鳥〟か?

日本の雇用の事情はずいぶん変わってきているようですが、それでも多くの日本企業が終身雇用制を採り、「定年制」も設けています。日本の終身雇用は一生働かせてもらう保証があります。

が、代償もあります。従業員が他の企業へは簡単に移れないという両面通行の慣行によって成り立っております。優秀な社員がどんどん転職したら終身雇用は成り立ちません。

以前に比べ日本でも転職が珍しくなくなりましたが、それでも多くの人にとって転職は簡単ではありません。従業員にとっては、組織から与えられる雇用保障と引き換えに、自由を捨てることを意味するのです。

リスクと見返りに自由を謳歌していた森の鳥が籠の鳥になり、自由と尊厳を失うのです。

日本の会社や組織ではパワハラが問題になり、時には自殺者が出ます。上司や会社に問題があるならば、辞めてほかの会社へ移るなど道はありそうですが、深刻な事態を招いているのは転職が容易ではなく、その他のオプションも極めて少ないためでしょう。

組織に問題があっても社員はじっと我慢するしかない。それが今もなお多くの日本人にとっての現実なのではないでしょうか。極端な言い方ですが、終身雇用制は、一生食わせてもらえる代わりに、檻の中にいるようなものではないでしょうか。