白川朗子(シラカワアキコ)は、色白で背がすらりと高く、長く伸ばしたストレートの黒髪がとても似合っていた。
住まいは、練馬区のキャベツ畑の広がる…以前は、近くに肥溜めや井戸ポンプ、沢庵工場なども点在していた…新興住宅地にあった。
両親はどちらも地方出身であったが、バンカラで鳴らした旧制高校ナンバースクール出身の父親(やや下ネタ風で恐縮だが、下着は生涯、越中ふんどしであった。朗子は幼い頃、どうして父親もおしめをしているのか不思議だった)と、自由な校風で知られる東京西部郊外にあるキリスト教系の短大を出た母親との3人家族であった。
父親は、近くの川で魚が釣れないと、その日のおかずは付かないような子沢山の貧しい家庭で育ったが、篤志家の助けを得て上京し、苦学していた際に太平洋戦争の学徒動員で外地へ赴いた。その
戦火を潜り抜け帰国したものの、不治の病と言われた結核に罹り、清瀬のサナトリウムに入院して死も覚悟したが、数年にわたる療養生活で九死に一生を得て、何とか暮らせるようになり見合いをした。
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