そんな矢先、次姉が直江津中学の特別学級に通うことになり、私も一緒に親戚の叔父さんに車で送ってもらえることになったのです(何とラッキーなこと!)。
「帰りも迎えに来るよ」と叔父さんは言ってくれましたが、仕事のある叔父さんに、甘えてばかりはいられないので、二人で歩いて帰ることにしました(その頃次姉は、ずいぶん歩けるようになっていたのです)。
放課後になり、次姉と帰る時間がやって来ました。姉と私は玄関で待ち合わせていたのですが、私が友達とおしゃべりをしていて遅くなり、急いで玄関に行くと姉は待ちくたびれておかんむり! 私を見た途端「プイッ!」と顔をそむけてさっさと歩き出すのです。
「何もそんなに怒らなくても……」と思いながら、私も姉のあとからノソノソついて行き、人通りの多い商店街を抜けて関川近くに行く頃には、いつの間にか姉の機嫌も直っていて、いつもの姉妹に戻るのでした。
しばらくして、次姉は新潟市の養護学校に転入することになり、また直江津を離れて行きました。
そして中学二年のとき、新潟沖でマグニチュード七・五の大地震が発生し、新潟市は液状化現象で団地や橋が崩れ、石油コンビナートが十二日間燃え続けるほどの大災害が起きたのです。心配した父はすぐに車で新潟に向かい、夜中に次姉を連れて帰ってきました。
丁度母は修学旅行で不在。家にはまだ電話もなく、私と上の姉はぐっすり寝込んでいたため、いくら戸を叩いても起きず、困った父は玄関の天窓から家の中に入ったそうです。