生立ち
勝也(かつや)は昭和40年代に大阪に生まれた、現在50過ぎのバツイチ男性。二人姉弟の長男である。
勝也の記憶にはないが父親は3歳の時に亡くなったようで、物心ついた時には、事業団アパート(現在の雇用促進住宅)に母と姉の3人で住んでいた。シングルマザーだった為、母の弓子(ゆみこ)は仕事が忙しく、いつも家に居なかった。
2歳上の姉は穏やかな性格で、ごく普通の大人しい女の子だったが、勝也はやんちゃ坊主だった。
祖父母は同じ階に住んでいたが、ほとんど勝也の家に来る事はなく、勝也はお腹が空いたら自分で冷蔵庫の鮭を焼いたり、パンの耳を油で揚げ、砂糖を付けて食べていた。当時はまだ保育園に通っていたので、おそらく5歳か6歳くらいだ。かなり危険な行動だ。
弓子は酔っ払って夜中に帰ってきて、時々洗面器に吐く事があり、勝也は子供ながらに心配していた。だからと言って勝也は決して悪い親だとは思っていない。不器用で男っぽい性格だが、冬の寒い時には布団の中で勝也をぎゅっと抱きしめ、冷えた足を太ももで挟んでくれた。
その頃、休みの日には弓子の知人の優しいおっちゃんが家に来て遊んでくれたり、旅行などにも連れていってくれたりしていた。勝也が小学校に上がると自転車を持ってきてくれる優しいおっちゃんだった。
勝也が小学2年生の頃、そのおっちゃんがお父さんになった。
おっちゃんの家は昔からある酒屋さん。凄く大きな家でお金持ちに思えた。食卓には毎日ご馳走が並び、小学2年生の勝也より、大きな犬を飼っていた。
その家にはお婆ちゃん、そしてお兄ちゃん二人とお姉ちゃんが一人居て、勝也は大家族の5人兄弟の末っ子になった。末っ子だからか、お婆ちゃんから可愛がられ、夜ご飯はお腹いっぱいになるまで食べさせてもらっていた。
母と姉と3人で暮らしていた時は生卵1個に醤油をたっぷり入れて姉と二人で分けていたり、お茶漬けのりは二人で半分こ、豆腐を潰して醤油をかけて丼ぶりにしたり、かなり貧しい食事だったので、新しい家での生活は夢のような毎日だった。
新しい小学校へは2年生の3学期から転校した。その当時はシングルマザーや親の再婚、ましてや転校などほとんどない時代で、転校生はイジメの的になる事が多かったが、勝也は人一倍気が強く従兄達に鍛えられていたので黙ってイジメられる事はなく、むしろ立ち向かっていった。
小学3年生の夏休み、近所の神社で蝉取りをしていたら弓子が泣きながら迎えに来て、勝也は何も分からないまま、親戚の家に預けられた。
そして、夏休みが終わる頃に弓子が迎えに来てくれ、家に帰ったが、そこは全然知らない家だった。