一
「邪魔して悪かった。でも、課題に集中したいなら図書館に行けば? ここより冷房が効いてるし、静かだし、資料も山ほどある」
今まさに去ろうとしていた邪魔者が、何を思ったか居座る気配を見せている。彼女にしてみれば、これほど迷惑な展開はないだろう。
「私の、勝手。ここのほうが、頭が冴える。もう行って」
女は再び背中を丸めて、鉛筆をきつく握り直した。聞こえよがしな荒い筆音。もはやここまでか。
そのときふと、女の手元が目に入った。さっきまで意識していなかったノートの文字たちが、するりと頭の中に滑り込む。レポートや論文といった、課題の類いではないらしい。漢字が少なくて会話文も交えた、まるで物語のような文面だ。
「はよ行って!」
国生の視線に気づいたらしく、女は怒鳴り声と共にノートを閉じた。その訛りが耳の奥で何重にも反響し、全身を激しく粟立たせる。やはり間違いない。彼女はきっと──。
「さっきから何書いてるの?」
返事はない。ならば興味を持ってもらうまでだ。彼女はこれから聞く言葉を、絶対に無視できない。
「そぎゃん、はりかかんでもよかろう?(そんなに怒らなくてもいいだろう?)」
思った通り、女は吊り上げていた両目を大きく見開いた。
「俺と同郷みたいだけど、一年生?」
あまりの驚きに、先ほどまでの警戒心が根こそぎ吹き飛んでしまったらしい。女は素直に、
「違う、四年。佐野世理(せり)」
と名乗ると、全身から突き出ていた険しい棘を引っ込めた。
彼女の白い顔と正面から向き合う。ずっと俯き加減だった容貌が明らかになって、思わず声を上げそうになった。やはり雰囲気が、小学校時代の同級生と似ている。ただ、よく見ると顔つきはまったく違うし、そもそも名前が違うので同一人物ということはない。
「俺は稲葉国生。実家はM町だけど、君はどのへん?」
「私は、K市の南の、T町。M町からは、車で、四十分くらい。同郷の同級生、この学校に、いたんだ」
独り言のように呟いた世理は、初めて僅かに微笑んだ。