人生の切り売り

四 追憶

考えてみれば橘くんとは、付き合う前から噛み合っていなかった。

高校二年の夏、終業式の日の放課後。彼は帰り際の私に声を掛け、まだひと気の多かった教室から廊下へと連れ出して、単刀直入に切り出した。

「付き合ってくれない?」

「……どこに?」

十六歳の神野あすみは、真顔でそう答えていた。すると彼が「ええ?」と大げさに声を上げる。

「そんなベタなボケかましてくるの? 神野さんって天然?」

より可能性の高い文意を採用して返答しただけだ。故に、すぐさま別の可能性を追う。

「橘くんだってどうせ冗談でしょう。それとも何かの罰ゲーム?」

「本気だけど」

「まさか」

「何で疑うんだよ?」    

だって彼は、教室の一番目立つところで目立つ友人たちと戯れているような男だ。隅っこで本ばかり読んでいる私とはまるで縁がない。本気で相手にした途端、周りの連中共々私を嘲笑う手筈が整っているに違いない。

「じゃあ私のどこに惚れたのか教えて」

「えっと、顔?」

思わず鼻で笑ってしまった。

「もう少しましな嘘ついてくれない?」

「割とタイプだけどな」

全くもって信じられなかった。ただ、これに関しては約十五年後、自分と同じ系統で自分より可愛い妹と付き合っていることを知り、急に真実味を帯びていく。

「あと、普段大人しいくせにたまにとんでもないこと言うところ。今の返しも良かった。ウケる」

惚れた理由にウケると言われても。

「返事は?」

「……え?」

「俺、告白したところなんだけど」

撤回するつもりはないらしい。仮に罰ゲームだったとしても、もう後には引けないだろうと真面目に対応を思案する。普通に考えたら―自分が橘くんをどう思っているかで判断したら―即座に首を振っていたかもしれない。しかし私は、少々別の角度から彼の言葉を吟味していた。

―もし頷いたら、何が起こるのだろう?

今まで特定の誰かを好きになったことはないが、恋愛そのものには興味がある。橘巧巳のことは好きでも嫌いでもないけれど、誰かに告白されるという経験はそう簡単にできるものではない。

「いいよ」

「ホントに? やった」

彼の笑顔に一抹の不安がよぎった。だって真意を疑われた告白をオーケーされても、私だったら喜べない。

「じゃあデートに行こう。明日の夜、夏祭り」

「あ、うん」

不安から目を背けるため、どうでもいいことを考える。最初からデートに誘うつもりだったなら「どこに?」の答えが「夏祭り」でも成立したのではないか、なんて。