8(日向國の)御刀媛〈御刀、此云弥波迦志〉

豊國別皇子〔日向國造之始祖〕《景行13年紀》

彦人大兄《仲哀2年紀正月》

5阿倍氏木事之女 高田媛

武国凝別皇子〔伊予国御村別之始祖〕

6日向髪長大田根

日向襲津彦皇子〔阿牟君之始祖〕

7襲武媛

a国乳別皇子〔水沼別之始祖〕

b国背別皇子〈一云、宮道別皇子〉

(c豊戸別皇子〔火国別之始祖〕(前掲))

天皇之男女、前後并八十子

まず気がつくのは古事記の妻の列挙の仕方が奇妙である。最初の2人の妻ⅰ・ⅱは出自・名前ともに明確に記述しながら、ⅲ・ⅳは妾とのみ記して名を没却した妻を掲げ、しかしその子については明確な名を掲げている。

そしてそのあとに再び出自と名を備えた妻3人を掲げている。こうした妻の列挙の仕方がそもそも変則であるのに加えて、最後の妻ⅶが、述べた通り、景行天皇の子である倭建命の曽孫、従って景行天皇の玄孫、湏賣伊呂大中日子王の娘、訶具漏比賣とされている(紛らわしい書き方がされているが、訶具漏比賣が倭建命の曽孫なのであり、倭建命の子、若建命の子とされる湏賣伊呂大中日子王は倭建命の孫である)。

このような婚姻は現実にはありえない話で、このような出自を平然と語るのは、明らかに意図的である。古事記は最後の大枝王に意図的に疑問符を付したのである。

この大枝王は、倭建命と仲哀天皇の系譜の段にはいずれも大江王として再掲されており、香坂王・忍熊王の母、大中津比賣命の父とされる。

書紀は、香坂王・忍熊王の母を「(仲哀天皇の)叔父、彦人大兄之女、大中姫」とする(仲哀2年紀正月条)。

この彦人大兄は古事記の⑼日子人之大兄王に等しく、故に⑽大枝王=大江王は実は⑼日子人之大兄王の別伝ないし紛伝であることが知られる。

要するに⑽大枝王=大江王の実体も出自も古事記が意図的に作り上げた虚構であり、⑽大枝王=大江王に疑問符がつくように虚構したのである。

【前回の記事を読む】『古事記』を解説!―景行天皇の、7人の妻と15人の皇子。大友皇子や中大兄皇子との関係は…?

 

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