早くに妻と死別し、跡継ぎの娘も子供たちを残して亡くなるという境遇にあって、誰にも笑顔を見せることがない、寡黙な彼の心の奥底をうかがうのは難しかった。
家族ともあまり話をすることもなく、気に食わないことがあると突然、足を踏み鳴らして大声でわめきだす、偏屈者の彼には孫たちも近寄ろうとしなかった。妻に先立たれた後の剛三の苦労は、さぞかし大変であったろうと思われた。
農作業や大家族の面倒を見るのに多忙なつねは、隠居部屋にこもりがちな忠助のところに出向き、恐る恐る飯炊きと、剛三と結婚して間もなく生まれた信吾の子守を頼みにいった。
忠助の仏頂面はそのままだったが、意外にも、純真無垢な赤子の子守役は彼に心が和むひとときを与えた。いつも怖い顔をしている忠助の笑った顔を、つねは初めて見たのだった。
忠助が心の支えとしていたのは、富士信仰であった。
この地域には昔からの民間信仰が根付いており、忠助は同好の仲間と定期的に集まっては神棚の前で呪文を唱え、寒中であっても井戸端で水ごりをするなど、修験道に熱心に取り組んでいた。
集落には、修業を積んだという拝み屋と呼ばれる総髪の男性もいて、祈祷や占いを行い、人々の悩みの相談に乗っていた。
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"オライのネコと、隣のネコがスルスを引くよ。どっこいしょ、どっこいしょ" スルスとは籾摺りのこと。つねは自作の歌に、勝手な調子をつけて歌った。
剛三とつねが、脱穀や精米の事業を始めたのは戦後間もない時期である。一家は、時折頼まれる剛三の大工の賃仕事と、わずかな畑と小作地だけでは、食べていくのもやっとだった。
子供たちは、田んぼでドジョウやタニシを捕まえたり、夜、カンテラをつけてウナギをかきにいったりした。娘たちは、春になるとセリやワラビを採りに、秋は連れだって、キノコ狩りに山へ出かけた。