俺はときどき先生の足首のタイツの皺に目をやりながら話をした。先生のいでたちは、箪笥(たんす)の上に飾られたまま飽きられ忘れられた、古ぼけた西洋人形を連想させた。頬が下膨れで目が大きいところも、人形に似ていた。しかし先生の口舌(こうぜつ)はまろやかで、いかにも機転が利きそうな黒目勝ちの目を伏せたり上げたりしながら、俺の質問に的確に答えていった。
あのときの松嶋先生の細いとは言えない足首を、俺は可愛らしいと思った。しかし今、指を開いたり縮めたりしている甲高の足は、鈍感でふてぶてしく見える。
「戻ってきたお母様を家族としてもう一度受け入れるという選択肢は、考えられなかったの? やろうと思えば簡単にできる、でもしないってこと?」
よーし、賭けに出よう。俺は決心した。あの女が探偵か否か……。もし興信所の人間だったとして、それがどうした? 間男(まおとこ)する女房に向かって、戻ってこい、がぴたりと止むかもしれないじゃないか。それとも俺も先生も慰謝料を請求されるか? そんなもの、踏み倒せばいい。あっちは普通のサラリーマン家庭だ。ちょっとばかり脅かす手段ならないわけじゃない。
「先生、もう戻った方がいいよ。表は今誰もいない。部屋を出ていくチャンスだぜ」先生は足指の体操を止めると、考え込んだままの表情で窓辺の俺をしばらくのあいだ見据えた。それから勢いよく立ち上がり傍にやってきて、身体で俺を押しのけ外を見た。
「いるじゃないの! あの人きっとそうよ」
先生はやにわに俺の頬をつねりあげた。「いるじゃないの、いるじゃないの」と繰り返しながら、みるみる目を潤ませていく……。
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本連載は、今回で最終回です。
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