「そうね、覚えているはずがないわね。あのときは大変だったのよ。だって、昭和天皇、皇后両陛下がお見えになることになっていたので、県民あげてお迎えすることになったの。あなたをおんぶして、市電で城址公園まで行ってその沿道で、お父さんと一緒に日の丸の旗を一生懸命振ったのよ」と文子は楽しそうに語った。

瑠璃は植樹祭の話題につられて、

「私が富山女子学院高校のときの音楽の筑紫美咲先生、お母さん覚えている?」と話し始めた。

「知っているわよ。ピアノが上手な先生よね」と相槌を打った。

「あの先生が、高校三年生のとき植樹祭の合唱メンバーに選ばれたんだって。良く私たちに、そのときのこと話してくれたわ。両陛下を、どのようにして頼成山にお迎えしたら良いのか知事さんが迷っていたらしい。

それで思い立ったのが、県内の高校と地元の中学のブラスバンドの混成チーム。急遽結成して、合唱は中学校、高校の選抜メンバーを募って、ベートーヴェンの合唱曲『自然における神々の栄光』で両陛下をお迎えした。

式典で、”緑の歌と県民の歌”を歌ったら、皇后陛下がいたく感動され、お礼の手紙が富山県知事に届いたの。大喜びした当時の県知事が、協力してくれた学校に直接行って、校長先生に感謝状と愛と美の象徴であるミロのヴィーナスのレプリカを贈呈したのよ。高校の校舎の正面を入ったところのガラスケースの中にしまってあったの、今でも覚えているわ。

筑紫先生は植樹祭で歌っているとき、目の前を両陛下が通られて会釈されたのが一生忘れられない思い出となり、音楽の先生になろうと決めたらしい。

これには後日談があって、先生は両親に勧められるまま、東京の女子大学の家政学部に進学し、家庭科の先生としてうちの高校に赴任したの。最初は家庭科を教えていたのに、音楽の先生になりたくて富山の大学の教育学部に通って音楽の教員免許を取得して音楽を教えていた。

その話を直接先生からお聞きしたとき、先生の情熱に感化され、私もそういう人間になりたいと思ったけど、先生の足元にも及ばないのは今でも自覚しているわ。とにかく、ピアノが上手で憧れたわね」と瑠璃は昔を懐かしむように話した。

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