伊豆の御社(おやしろ)

取りあえずは農道の先の小高い山を目指して歩いた。道は記憶にある畦道よりもずいぶん長く感じられた。道の先にあるはずの祠も記憶の中のそれよりも遙かに遠かった。しかし、歩けば何かがあるような気がした。

歩を進めるごとに祠の記憶は現実感を失い、漠とした記憶はますます希薄になった。歩き続けているうちにあれが現実だったのか夢なのかわからなくなった。ボクは歩を速めた。

某県のある海沿いの町に、今は住む人もない家が放置されている。近所の人の話によると、この家の住人は突然この家に越してきた。男はかれこれ十数年そこに住んでいたがいつのころからか姿を見かけなくなった。

歳は七十歳前後、長身の痩せた男で、絵を描くことを生業としていたらしく、よく、キャンバスと画材を抱えて歩く姿を見たという。一人暮らしのようで、家族らしいものの姿はなく、訪れるものもなく、これといった近所付き合いもなかった。

地元役場の調査によれば男の来歴を知る者はない。その担当者の経験則から照らして、大抵の人は生きている限り他と何らかの係わりを持つものであるから奇妙なことではあったのだが、戸籍に照らしても何の係累を辿ることも出来なかった。

住む人のない家は長い間放置され、国内法に則って持ち主不明のまま国の管理下になり、やがて、競売に付された。その後、家は取り壊されて更地になり、今は男の存在を記憶する者もいない。この世界に生きた男の痕跡はなくなった。