唐から帰国した空海はここを拠点に真言密教(しんごんみっきょう)の基礎を築いた。当時神護寺は密教寺院ではなく高雄山寺(たかおさんじ)といった。それを空海は神願寺(じんがんじ)と一つにして神護寺と改め、真言密教の寺院にしたといわれる。

明王堂(みょうおうどう)、五大堂(ごだいどう)、毘沙門堂(びしゃもんどう)、大師堂(だいしどう)、金堂(こんどう)と順に巡っていく。明王堂、毘沙門堂、大師堂は開扉(かいひ)されていない。

空海の住房の跡に再建された大師堂には板彫弘法大師(いたぼりこうぼうだいし)が祀られている。浮き彫りであるのは珍しいという。ちなみに「弘法大師」の名は空海入定(にゅうじょう)後80年以上経ってから醍醐(だいご)天皇より下賜(かし)されたものである。

石段を上り金堂に入る。薬師三尊(やくしさんぞん)、十二神将(じゅうにしんしょう)、阿弥陀如来(あみだにょらい)、如意輪観音菩薩(にょいりんかんのんぼさつ)、地蔵菩薩(じぞうぼさつ)、愛染明王(あいぜんみょうおう)、四天王(してんのう)など、堂内に数多くの仏像が安置されている。

特に目を引いたのは本尊薬師如来(国宝)である。「これは薬師如来なのか」。目の前にした時そう思った。

あごは割れ、目は細くやや切れ上がり、どこかを睨(にら)むような怖い顔をしている。長身なのに下腹から太ももにかけて太く、ずんぐりして見える。腕も太く、左手には薬壺(やっこ) 、右手は施無畏(せむい)印なのに、「来るな」と制止しているかのよう。こんな威圧する薬師如来は見たことがない。

もともとは白木の仏像であったが、歳月とともに黒ずみ、唇や眉の彩色は後世のものである。

金堂を出て、さらに石段を上り多宝塔(たほうとう)に向かう。ここは五大虚空蔵菩薩(こくうぞうぼさつ)(国宝)を祀るが、通常は非公開である。

多宝塔を後にし、地蔵院に向かう。

地蔵院は高台に建ち、眼下に清滝川の流れが眺められ、景色は抜群である。ここは「かわらけ投げ」の発祥の地といわれる。「かわらけ」とは素焼きの小さな皿で、昔から花見の時などに、これを投げて空中に舞うさまを見て楽しむ余興(よきょう)であったらしい。現在では厄除(やくよ)けなどの願掛けで行われる所もある。

神護寺を後にして山を下り、清滝川沿いの舗装路を西明寺へ向かう。

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