これに対して「そりゃどうも……」とそっけない対応で須崎は豊田を見送った。須崎は刑務所を物見遊山で見学したがる輩を毛嫌いしていた。
それは収容者にとって外部の一般人にその姿を晒す事がそもそもストレスを感じる事なのでできるだけそういった事から守ってあげたいと思っているのに、自身の招いた事で一般人の見学を受け入れてしまった事に、少なからず収容者達に済まない気持ちを持っていたのだ。
須崎は後日、本省に出向いて、矯正局長に豊田が持参した書類を渡し決裁を仰いだ。その二日後、須崎は矯正局長に呼び付けられた。
「先方の条件を受け入れる事で法務大臣の決裁を取り付けた。ついては、先方のトップと法務大臣との間で調印式を行うので、その日時を先方と相談して決めてほしい。これは法務大臣が調印式に臨める日時のメモだ。先方のトップのスケジュールとすり合わせて、調印式の日程を決めてほしい」と矯正局長がメモを渡しながら言ってきた。
「はい、畏まりました」須崎には矯正局長が政務次官、政務官、副大臣等に入れ知恵して自分の出世の足掛かりにしようとしている魂胆が透けて見えた。
事の発端は、須崎が刑務官にも自衛隊の任期制や企業の契約社員の様な雇用関係が導入できないかを調査した事から、ダメ元で模範囚を契約社員として雇ってもらえないかと働き掛けた事から、企業側は当初一名枠を確保する事で社会貢献活動の一環と広報活動としてマスメディアに載せる事を条件としてきた。
そこを逆手にとって法務省は一名を三名とする事で、法務省として受刑者の社会復帰に役所を挙げて取り組んでいる姿勢を、マスコミを通じて国民有権者にアピールする絶好のチャンスと捉えたのだ。
そしてその最大の見せ場が法務大臣と受け入れ先自動車メーカーのトップとの契約書の調印式という訳である。
須崎のたてた手柄を法務省の矯正局長が棚から牡丹餅で横取りして、自身の出世の為に企画立案したセレモニーなのである(事実矯正局長は翌年の人事で事務次官へと出世した)。
【前回の記事を読む】笑うに笑えない飲み会の話題と言えば「親の介護」「自身の持病の話」「結婚しない子どもの話」
次回更新は11月25日(月)、8時の予定です。