第二章 調査1、調査2、お手本は自衛隊
「幸いな事に定年延長制度が適用されて、役職はなくなるが後輩の指導と受刑者へのカウンセリングを担当させてもらう事になっている」と来年以降のスケジュールを告げた。
「そうか、俺は地元へ帰って、防衛関係協力企業へ再就職するよ。実家の歳取った両親の面倒を見ながら……」と里村は出身地の新潟で年老いた両親を世話しながら通称自衛隊協力企業へ再就職すると明かした。
「それって、奥さんを連れてはいかないという事か?」と須崎が質すと
「家内は雪国の冬に耐えられそうにないと言っているから俺一人で行く、俺の両親だから」と里村が言った。
「俺達の歳での単身赴任はきついぞ。掃除、洗濯、自炊にその上両親の世話だろ?」と須崎が心配そうに言うと
「親父はちょっと認知症が始まったみたいなんだが、お袋は至って元気で畑仕事もしているし、掃除、洗濯、料理もまだ熟(こな)せている。問題は誰か車を運転できる者がいないと、買い出しとか通院とか何かと大変なんだ。認知症の始まった親父の運転免許を返上させたから……」と里村が地方ならではの実情を訴えた。
「地方は車社会そのものだからな、俺も北海道で勤務した事あるからよく分かるよ。今でも網走勤務は忘れられない」と須崎が地方の車事情に共感してみせた。
「そうだったなお前、網走にもいたんだったよな? あの映画の舞台になった」と言うと
「ああ北海道は網走と札幌にいた。その後本州の宮城刑務所、秋田刑務所、福島刑務所、青森刑務所の後、新潟刑務所、名古屋刑務所そして今のF刑務所だ」と今までの転勤先を挙げてみせた。
すると負けまいとして里村が「俺は、これまで日本全国に散らばる陸上自衛隊駐屯地一八か所を転勤して歩いた。短い時は任期一年で異動となったよ」と須崎の倍の転勤を披歴した。
須崎のジョッキが空きそうなのを見て、里村が「すみません、生ビール二杯おかわり!」と言うと、慌てて須崎が「すみません、おかわりは一杯で、代わりに私にレモンサワーを下さい」と注文を訂正した後、「済まん俺、痛風持ちでビール飲み過ぎると後が怖いんだ。これから先は酎ハイで付き合うから」と自身の持病を暴露した。