第一章 急激な進行 首から下が動かない
【28日】 この日は血漿交換は休みだが検査は続いている。2時間ごとに看護師さんや介護士さんが、私の腰に枕を挟み床ずれ対策をしてくれる。私は寝ているだけだ。
【29日】私は血漿交換の説明を受け、腕に針を刺されたことは覚えているが、終わったのは記憶にない。
【30日】担当医と家族の面談。私は入院した時点でmRS(疾患の重症度の評価)レベル4だが、すぐにレベル5になった。レベル6は死亡。「進行も早い。完全回復は難しい可能性が高い。5日には一般病棟に行けるかもしれません」普通は31日に移れるはずが、思いのほか重症で延期になったらしい。「急性期病院は長期の入院は受けられないから、次の病院を探しておく必要があります。管が抜ける可能性は少なく、自発的会話は器具なしでは難しい」つまり私の入院は2か月以上になるということだ。担当医の言葉に希望が入り込む余地はなかった。本人が聞いたら気絶していたかもしれない。
【31日】目ヤニが多く、左目が痛い。私は首から上は無事だと思っていたが、唇もおかしく顔にも軽いマヒが出ていた。肺の検査で、肺に空気が入っていると判明。午後から血漿交換とグロブリン治療。1クール目が今日で終了。左目が充血し、相変わらず目ヤニがひどくて目を開けていられなかった。
【2019年1月1日】私が知らないうちに年が明けた。
【2日】自発呼吸なし離握手(軽く握手する)可能、下肢筋収縮あり免疫グロブリン療法の2クール目が始まった。悪い免疫を叩く薬を5日間続けて大量に点滴で投与する。1日500㎖を5本入れ続ける。この他に水分や他の薬も点滴で入れるので、点滴が途切れることはなかった。さらに、私の鼻から胃に届いているチューブで、薄茶の重湯のようなものも食事の代わりに入ってきた。この頃の私は人工呼吸器のチューブの他に、首の横にも細いチューブが入っていたし、鼻から入っているチューブもあった。
今だから思うのだが、さながら小人の国で捕まったガリバーだ。ガリバーは自力でロープを引きちぎり脱出したが、残念ながら私は何もできなかった。貧血進行有消化管出血疑い腹部造影CTをするが、出血源(内臓からの出血)なく様子を見ることになる栄養が足りていない「ね、むくんでいるでしょ」娘が私の手を目の前に持ち上げて見せてくれる。そこにあるのが自分の手とは思えなかった。私の手は女性のわりに大きくてごつごつと骨ばっている。それがパンパンに膨らんで、まるで風船のようだった。
指の皺が1本も見えないこの手は、私の頭の中に強く刻まれた。私が見られる景色は白い天井と、点滴が落とす水滴だけ。いつものようにポタ、ポタっと落ちるのを見ていた時、指に違和感を抱いた。動いたかな、まさかね。動かしたいという気持ちが強すぎて錯覚を起こしたのかも、というくらいの微々たる兆候だった。
血漿交換の効果は、あと1週間先のはず。この日、自分の胸に灯ったわずかな喜びは、誰にも言わなかった。もし違ったら恥ずかしいし、がっかりしてしまう。少し動いた!