第一章 天界で奪われた三種の神器

早天の清涼なる風がやわらかく頬を撫でていく。静寂の中、浅沓(あさぐつ)が土を踏みしめる音が耳に心地よく響く。

弁財天は従者の引く牛車の前簾(まえすだれ)を開け、払暁(ふつぎょう)の世界を眺めていた。東の空に燃えるような朝焼けが広がっている。蓮田(はすだ)の睡蓮が大きな花を咲かせ、芳醇な香りを漂わせている。群れからはぐれてしまったのか、一羽の渡り鳥が南方へと飛び立っていく。旅の道すがら、日ごとに異なる景色を見られることは、ひそやかな楽しみであった。

「牛馬(ぎゅうば)や」

「いかがいたしましたか、弁財天さま」

のびやかな音で弁財天の呼びかけに応じたのは、弁財天の道中に付き添う十五童子のひとり、牛馬童子であった。牛馬は生類に慈悲の心を寄せるやさしき童子で、牛車を引く牛と守護神である二匹の白狼、仁(じん)と徳(とく)の世話を一手に引き受けている。

「これほど穏やかな世の中が訪れるとは、不思議なものじゃのう」

「御意にございます」

牛馬は過去に思いを馳せるように遠い目を見せた。

「あの頃は、天部に閻魔が降り立ったかと思うほどの惨状でございました」

「そうじゃったのう」

「飼っていた牛も馬も、野山を駆け回っていた兎も狐も、鳥も魚も虫も、皆、いなくなってしまいました。戦いが終わらなければ、地上に逃げたまま戻ってこなかったかもしれませぬ」

「そうなったかもしれないのう」

「こうして穏やかな日々を過ごせるとは、ゆめゆめ思いもしませんでした」

「そうじゃのう」