在籍二十余年の間に、皆、次々と結婚していった。喜美子は、左手薬指の指輪を摩(さす)る。伴侶を見つけることが社内的な評価、昇進判断に直結する。だから三十一歳で「入籍」した。飲みの席で我にもなく生まれた「彼氏」は、気取ってひとり歩きを始めた。
なんだかんだ社会の檻に閉じ込められている。旧来の価値観に煽(あお)られている。情けない。「価値は相対的だ」と自己啓発本は言うが、そんなのは嘘だ、と喜美子は思う。
人類が誕生してから、結婚制度はともかくとしても、男女のつながりは続いてきた。だから、子孫が生まれ、今日までの人類の歴史となっているのだ。考えてみれば恐ろしいことじゃないか。そんな歴史の厚みを無視するなんてできやしない、別の価値体系の思想をインストールしない限りは。社会を構成する人々の大半が持つ価値観で社会は動いている。
「旦那さんどんな人?」「私も先輩みたいになりたいなあ。羨ましいですう」「お子さんいるんですか?」「はい、来年の春、娘は中学生になります」 同僚から写真を見せるようせがまれても、いやいや、娘が写真嫌いでさ、と誤魔化してきた。現実に、娘がいれば、美結と同年代である。
あの子は、どうしているんだろう。少女には、喜美子がいなくても生きていける生命力がある。しかし、〈少女性〉に危険が及ぶことはなんとしても避けなければならなかった。
クリスマスを控え熱(いき)った群衆を傍目に、トー横では、およそ「キッズ」とは呼べない人種がゲラゲラと空気を震わせながら缶チューハイをあおっている。中途半端な甘さと薬っぽさが鼻を抜け、その呼気は冷えた風に混ざって砂埃を立てて去っていく。広場でたむろしていた、色白で華奢な少女の雰囲気が、時間と共に喜美子の中で膨らんでいく。
「私の"美結"は、どこへ行ってしまったのだ」