ある日綾子さんと私が、あのシャーロックホームズの探偵事務所があるとされるベイカーストリートを歩いていた時、 ABCベーカリーというコーヒーショップ兼パン屋の店先に求人広告が出されているのに気が付いた。手持ちのお金が少なくなってきた私達は、この求人広告に即応募した。
綾子さんはコーヒーショップのウェイトレス、私は店頭でサンドイッチやコーニッシュパイ等を売る売り子をした。因みに、私は、「アメリカ訛りの英語」を話す変な東洋人と何度か、からかわれた。
綾子さんと私はABCベーカリーで数か月働いた後、英国大陸とアイルランドへのヒッチハイクの旅に出た。ロンドンを出るまでは公共交通機関を使ったので、所謂「田舎」に出るまでかなり時間がかかった。まずは、スコットランドのエジンバラを目指す。
エジンバラまでは、直線距離でおよそ645キロだが、ヒッチハイクとなると1日にどのくらいの距離をカバーできるのかは、全く予想できず、エジンバラに行き着くまでに10 日間くらいかかったように思う。宿泊は、専らユースホステル。
エジンバラに到着し、エジンバラ城観光をした翌日は、あの有名なロックネスモンスター「ネッシー」のいる、ロックネス湖を目指す。ロックネス湖は、ただの大きな湖で期待外れだった。
当然ネッシーを見ることもできなかった。そこから私達は、更に北上してジョン・オ・グローツ(John O’Groats)に行き、英国大陸(スコットランド)最北端の道しるべを見た。私達の次の目的地は、アイルランドの首都ダブリン。
アイルランドへは、ビートルズが生まれた町リバプールから出るフェリーで渡る。当時アイルランド共和国は、所謂南アイルランドのことで、ベルファーストを州都とする北アイルランドは、大英帝国の一部である。当時、北アイルランドには内戦があり、特にベルファーストは、かなりの危険地帯であった。
路地の入口には、機関銃を持った警備員みたいな男達が、路地を出入りする人達の所持品をチェックしている光景があちこちに見られた。その後私達は、再びフェリーで英国大陸に戻り、ウェールズを経てロンドンに戻った。
そこで私は綾子さんと別れ、日本へ帰るべく、香港行きのブリティッシュ・カレドニアン航空(1988年に倒産した英国の航空会社)の飛行機に乗り込んだ。
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