5 ブラックホールになる星とは
縮んで見えることは事実的関係に置くことと理解しなければならない、という前提で時計の例を出したわけだが、多少の心配が残る。
相対論の事実無視の理屈っぽさからして、「それは解釈を曲げることである、文字通り見るということと理解せよ」という反論は十分にあり得ることだ。おそらく超高速の宇宙船からでは、地球の時計は見ることはできないし、カメラでとらえるという方法は実際に見ることとは違う、と言われるかもしれない。
では、実際に見ることが可能なものを考えてみたい。
たとえばブラックホールは超大質量の恒星のみが生涯の終わりにたどり着く特殊な天体とされる。
恒星の外郭というのは、中心部で数万度から数億度にも達する高温のせいで外側にはじけようとする圧力と、内側に戻そうとする重力とが均衡する地点で大きさが決まる。小さな質量の星は中心部の温度が上がらず、ゆっくりと燃料を消費し、大きな星ほど早く燃える。
時間の長短はあるが、生涯の大部分を安定した状態で過ごした後、あらかたの燃料を使って内部温度が保てなくなると収縮が始まる。最初は固体化し、そこを過ぎると原子がぎちぎちに詰まる状態になるわけなので、通常ならどこかで止まるはずだ。
どこで止まるかは重力とのバランス次第であり、元の恒星の質量で単純に決まるだろう。結果が白色矮星 (わいせい)であったり中性子星であったりするのだが、それらは従来の物質というイメージに沿ったものである。
【前回の記事を読む】懐中時計で考える相対性理論。抽象的に考えるのではではなく、現実的に考えて…相対論は、奇怪な現象を支持するものではない