1994年12月、29人の女性従業員と元女性従業員が訴訟を起こします。日常的な男性従業員によるセクハラにより、女性従業員にとって働きにくい環境となっていたにもかかわらず会社はそれを放置した。働きやすい環境を作る雇用主としての義務を怠った、という訴えです。

それでも会社は動こうとしませんでした。

1996年4月には、EEOCも同社の女性従業員全員を代表してクラスアクションを起こします。EEOCは29名の女性の訴訟とは別に、以前からあった同社でのセクハラの申し立てに応じ、100名以上の女性従業員から聞き取り調査を行いました。米国三菱に改善勧告案を出したものの、会社はこれを完全に無視したため、訴訟に踏み切ったのです。

女性従業員29名だけでなく、EEOCからも訴訟を起こされた米国三菱でしたが、それでも動じません。それどころかEEOCのシカゴ支部前で抗議デモを起こします。50台以上のバスをチャーターして従業員をデモに送り込んだのです。非難が起こりますが、米国三菱は社員による自発的なデモだと開き直ります。デモに先立ち社内での決起集会が法務部長の音頭で開かれたといわれております。その際の一部始終がビデオにとられていたと報道されております。

差別を放置したことを認めるどころか、訴訟相手の独立機関にデモを仕掛ける。前代未聞の行為でしたが、すぐにその報いを受けることになります。

米国三菱の行為がメディアで全米へ伝えられると、活動家たちが動き始めました。人種差別や少数民族差別を問題視する団体が、全米の三菱自動車のディーラー前で自動車の不買を呼びかける抗議行動を始めたのです。議員らも乗り出し、日本の駐米大使に抗議の書簡を送りました。女性差別問題は、人種差別問題、さらに国際問題にまで発展しようとしていました。

 

【前回の記事を読む】最初の降格を告げられた時、社長に言われた「若い人がいいな……」という言葉がどうしても気になり…

 

【イチオシ記事】父の通夜に現れなかった妻。自宅階段の手すりに白い紐が結ばれていて…

【注目記事】もしかして妻が不倫?妻の車にGPSを仕掛けたところ、家から20キロも離れた町で、発信機が止まった!