無謀な経済政策

大昔からどこにでも見られる一般的慣習として、平和時には蓄えをして戦いに備え、征服或いは防衛の手段として事前に財を蓄積する。世の中が乱れ、混乱に陥った時には、決して並外れた課税などに頼らず、ましてや借金することはない。政府がその歳入をすべて費消してしまう状況では、必ずその国は衰弱し、不活動化し、不能状態に陥ることを歴史は教えてくれる。

デイビッド・ヒューム、“Of Public Credit”(1752)

国家債務の先行きを警告する大合唱が今は静まってしまった。これは奇妙だ。

1980年代に始まり、2010年のティーパーティの勝利の後も、政治議論としてどちらの党も、ばらまき支出と債務の対GDP比率の増加が続けば、アメリカの国の債務とドルへの信任を傷つけることになると警告しないことはなかった。

この警告は党を超えていた。それは時期によってどちらかの党が攻撃するか、守りに入るか、攻守が入れ替わるだけだった。

1980年代に入り、民主党と一部共和党議員(デイビッド・ストックマンが思い出されるだろう)がレーガン政策の財政赤字に対し反対運動を展開した。

レーガンは金食い虫で、大赤字を作り出したが、当時の反対の理由は新規の支出が民主党の求めた社会保障政策へ行かず、防衛費にまわったためと推定される。

1990年代には政権から外れた党が日常的に政権与党に歳出について文句を言うパターンが繰り返されたが、ジョージ・W・ブッシュとビル・クリントンは実際のところ、債務の対GDP比率を管理する手堅い運営を行った。

2000年代に入り、民主党はジョージ・W・ブッシュの1兆ドルの戦費を非難し、他方共和党は長期成長路線に回帰させる目的で、結果的に失敗したオバマの1兆ドルの景気刺激策を非難した。

しかし今やダメージは深刻になっている。

43代大統領のブッシュは国の借金を倍増させ、オバマはその大きくなった借金を更に倍増させた。トランプが2017年1月に大統領に就任した時、ブッシュ、オバマチームは彼に105パーセントの債務の対GDP比率を引き継がせたのだ。

この数値はヨーロッパの大抵の国より悪く、ダンディなイタリアに追いつきそうな値である。政権が替わっても、また運命が変わっても、歳出過多に対する批判は止まることはなかった。

トランプになるまでは。

今や両党とも口をつぐんでしまった。トランプは民主党の好きな社会保障を攻撃しなかったので、民主党が文句を言う理由がなくなった。

トランプは軍事支出を拡大したので、共和党は満足した。裁量支出の制限を取り払い、連邦議会の補助金制度を復活したため、両党は喝采した。

トランプはオバマの第1期に見られた1兆ドル赤字の時代をよみがえらせた。社会保障と防衛が峡谷のように聳えたため、ワシントンでは意見の対立はなかった。唯一敗者は国なのだ。