ナショナリズムとグローバリズム

比較優位は流動的ではなく、何もないところから作り出すことができる。台湾は1980年代半導体製造に関し比較優位はなかった。

しかし台湾政府は政治決断をして国がバックとなり台湾半導体製造会社を設立した。外国から競争により最も攻撃されやすい初期の頃、関税と補助金で台湾半導体製造会社を保護した。

現在では台湾半導体製造会社は上場会社となり、世界で最大の半導体供給会社となっている。この会社は政府の援助なくして、今の状態に到達することは決してなかった。

これが比較優位が動的な状態では当てはまらないという良い事例である。

もし比較優位が変化しないというならば、台湾や日本は、自動車、コンピュータ、テレビ、鉄鋼、それに半導体を輸出する代わりに、今も米とマグロを輸出していることになる。

為替レート変動制はシカゴ大学の教授ミルトン・フリードマンが1970年代の初期に発表した自由市場に関するインチキな記述による瑕疵ある伝説といえる。これもグローバリストの悪巧みの一つだ。

為替変動制はもともと1971年以前のフリードマン自身軽蔑した金本位制における代替としての存在だった。

フリードマンは中央銀行の計画担当が実質成長と価格の安定を最適化する目的で、貨幣供給を微妙に調節できる能力を与えたいがために、延び縮みする貨幣のアイデアに取り憑かれていた。金は延び縮みせず、微妙な調整が可能な任意の金融政策が求められる中、不適切と考えられた。

フリードマンは為替レートが緩やかに変動し、それによって取引をしている国の間で相対価格が上下して、貿易において、その変動が貿易赤字を解消し、他方の貿易黒字を軽減すると考え、その結果イギリスが1964年と1967年に経験したような衝撃的通貨切り下げなどすることなしに貿易の均衡が保てるよう希望した。

フリードマンの実験室内の実験のような仮説は現実の金融社会の媒介者、例えばレバレージやデリバティブを作り出す銀行やヘッジファンドの行動を無視していた。金融資本主義化の結果、金融機関が為替変動を支配し、スムースな調整を増幅させるようになるとフリードマンは夢見た。

実際に起こったのは1970年代終わりのハイパーインフレーションと言えそうな事態だった。そして資産バブルが膨らみ、破裂するという事態が、ラテンアメリカの債務(1985)、アメリカ株式(1987)、メキシコペソ(1994)、アジア危機(1997)、ロシアの債務とデリバティブ(1998)、ドットコム株式(2000)、住宅ローン(2007)そして再びデリバティブ(2008)と次々に起こった。