尼の死後、庵は「無名庵」と呼ばれたことは鎌倉時代の文書にも見られるそうである。

松尾芭蕉はここをしばしば訪ね宿舎とした。そしてここで度々句会を催している。

ゆく春を近江の人と惜しみける 芭蕉

有名なこの句からも想像できるように芭蕉の弟子はこの辺りにも多かった。この「無名庵」は、前に紹介した神奈川の「鴨立庵」京都の「落柿舎」と合わせ三大俳諧道場と言われる。

木曽殿と背中合わせの寒さかな 又玄

又玄は師の遺骸を大阪から運んだ弟子の一人である。並んだ二つの墓は、今、寺の静寂の中でこんな風に語り合っているように思うのは私の考えすぎであろうか。「諸行は無常なり……この寂滅を楽と為す……」

鬼怒鳴門氏と俳句     

 

「風姿花伝」を著わし観世流の能を世に残した日本の代表的文化人世阿弥は、晩年足利義教の反感により佐渡国に流刑となった。この世阿弥が眺めたであろう月に思いを馳せながら詠まれた一句がある。

罪なくも流されたしや佐渡の月 キーン

作者は米国コロンビア大学教授、ドナルド・キーン、日本に帰化後日本名、鬼怒鳴門氏である。彼は何度か訪れた佐渡の酒席でこの句をさらりと書いて見せたという。第二次世界大戦で日本語の通訳官として沖縄戦ではガマに潜む住民に投降を呼び掛けたり、捕虜の尋問、日本兵士の残した書簡の翻訳などの任務に当たっていたという。