中村家の先祖は、戦国時代に石田三成の家来で御傍御用鉄砲隊を統括指揮していた、上原善衛門配下の八郎太という足軽鉄砲隊組頭だった。下級の地位ではあったが、三成警護という重要な役割の中で戦功を上げ、上田という姓を三成から頂戴した。以来、上田八郎太として善衛門のために、ひいては三成のために命をかけて働いていた。
善衛門がこの八郎太を重用していたのには理由があった。八郎太には、生まれたときから額に小さなふたつの角があった。生まれてすぐにそのことが世間に知れ渡り、そのため八郎太は、『鬼子』として隣近所から恐れられ、忌み嫌われた。彼の家は農家で、彼が男子の八番目という子宝に恵まれた家庭であったこともあり、口減らしという口実で、まだ乳離れもしていない幼い頃に親に捨てられた。
山の荒れ寺で拾われた八郎太は、この寺の信仰の厚い檀家の女房の乳をもらい育てられた。寺にたくさん訪れる旅の修行僧に混じって、八郎太は仏教の教えを学んでいくと同時に、彼らから護身術を学び成長していった。そして十四歳になったとき、彼は寺を飛び出した。
【前回の記事を読む】額の生え際あたりには鬼の角のようにきれいに左右対称のこぶが確かにあった。これが父にはなくて祖父にあった印...?
次回更新は11月1日(金)、22時の予定です。