何食わぬ顔で食堂を奥へ進み、目的の席の少し手前で会話の機会を窺う。女は熱心にノートに向かっていて、国生の接近に気づいていない。早々に気(け)取られて警戒されるのも厄介だが、こうも没頭されると、話しかけるきっかけを摑むのも一苦労だ。

背中まで伸びた引っ詰め髪に、首回りがくたびれた白いTシャツ。テーブルの下へ目を遣ると、カーゴパンツのゆったりとした裾と、黒いビーチサンダルを履いた素足が覗いている。四人がけのテーブルには、忙しく鉛筆を走らせている大学ノートと、布製の白いショルダーバッグ、そして空の丼がぽつんと一つ乗っているだけで、他には何もない。

思い切って女の斜め向かいに腰かけてみた。それでも女は顔を上げるどころか、国生に気づいているかさえも怪しい。

「ちょっといい?」

尚もノートに齧(かじ)りついたまま、一心に余白を埋め続ける没頭ぶり。ちょっと腕を伸ばせば、鉛筆を持つ手を摑める距離だ。聞こえていないはずがない。

「この席、座ってもいいかな?」

ようやく鉛筆の動きが止まった。女は化粧っ気のない顔を上げると、半開きの眠そうな目でぼんやりと辺りを見回した。

「空いてるのに、どうして?」

あからさまに刺々しい抗議の声。煙たがられるとは思っていたが、まさか真っ向から拒否されるとは思わなかった。

「君に訊きたいことがあってね。用が済んだらすぐ行くから」

真向かいに座り直すと、女は泥棒でも見るような尖った視線を向けてきた。ずいぶんなもてなしだったが、どうせこれから無礼極まりない質問をするのだ。少しくらい早めに白眼視されても、文句は言えない。

馬鹿正直にスリーサイズを訊ねても、さすがに答えてはくれないだろう。取りあえず最初は、当たり障りのない質問で様子を探ったほうがよさそうだ。

「三十分くらい前、見るからに軽薄そうな男と硬貨を交換しただろう。あれにはどんな意味があったの?」