そこへ桃加が教室に入ってきた。彼女の発言次第によってはこの収まりきらないマグマが再び噴出することがありうるだろうと海智は密かに彼女を睨みつけた。
「桃加、これ見たか。これ、絶対信永だぜ」
石川嵐士が彼女に近付いてスマホの画面を見せた。
「ふうん」
桃加は意外にも冷淡な反応を見せた。
「何だよ。お前あいつ早く死んだ方がせいせいするって言ってただろ」
「ああ、まあね」
桃加は気のない返事をして自分の席に着いた。誰とも目を合わせずスマホをいじっていた。ちょっとでも不用意な発言があればこいつらに一泡吹かせてやろうと息巻いていた海智は肩透かしを食らった。
後日、搬送された患者はやはり信永梨杏であると判明した。意識不明の重体が続いており、おそらくはもう助からないだろうというのが世間一般の予想だった。
梨杏の両親は彼女がまだ幼い時に離婚して母親の経子(つねこ)が親権を持ち、シングルマザーとして彼女を育てた。経子は学校でいじめがあったと、学校と教育委員会に調査を要請した。
しかし、学校も教育委員会もいじめがあったとする根拠はないとして調査を拒否した。このことは大々的に全国のマスコミで取り上げられたが、世間からのバッシングに遭っても学校と教育委員会の動きは鈍かった。
今までにもいじめが原因と思われる生徒の自殺が全国各地で相次いで報道されてきたが、いつも学校と教育委員会はいじめの存在を隠蔽したり否定したり、あるいは調査を放棄したりして何とか自分達の責任を回避するのに躍起となり、いじめに対して真剣に向き合おうとする姿勢に欠いている。
学校がいじめを認めようとしないのは校長や教師の出世に響くからだと言われている。自分達の責任は棚に上げて自己の出世と生徒一人が命懸けで提起した問題とを天秤にかけた上での怠慢であり到底許せるものではないが、理屈としては理解できなくもない。
だが教育委員会までいじめ問題を黙殺するのは何故なのかその頃の海智には全く理解できなかった。
そもそも教育委員会とは教育の中立と安定を守るために地方公共団体の長から独立して設置され、教育方針を決定する組織ということになっている。しかし委員は全て知事や市長が任命するのだから、それで中立も糞もあったもんじゃない。
委員の任命資格も「人格が高潔で、教育、学術及び文化に関し識見を有するもの」となっているが、人格が高潔かどうやって判断するのか。「人格テスト」でもやればいいだろうが、そんな試験で高得点を出す奴は鼻持ちならない奴に決まっている。
こんな観念的な条件で人選するなど小さな田舎町になる程無理な話で、結局校長を目指す教師や或いは校長経験者などが多く任命されていると彼が知ったのは最近のことである。つまり、学校も教育委員会も同じような面構えの人間で構成されているからいわば一心同体なのである。
【前回の記事を読む】「早く死んだ方がみんなのためって気づかないのかね?」いじめの黒幕はSNSへの書き込みを始めた。
次回更新は12月1日(日)、11時の予定です。