灯りを落とした店内にはサックスの音が嘆くように響いていた。二三組の男女がその曲に合わせてゆらりゆらりと揺れていた。煙草の烟で靄がかかり、物音や人声で辺りは騒めいていた。
「先生、久々にお見えになったと思ったら、ご機嫌斜めねえ」
厚化粧した女がカウンター越しに甘ったるい声を出した。伊藤医師はその声にちらと目を向けたが、すぐにあらぬ方を見つめ、ぐいとウイスキーを呷った。
「またあ、そんなムズかしい顔をしてぇ、ねえ、どうしたのよう」
女は彼の手を取るとぐいぐいと揺さ振る。
「五月蝿いなあ、放っといてくれよ」
彼は邪険に手を振り解くとウイスキーの催促をした。サックスの合間に辺りの話し声がぼそぼそと聞こえた。あまり高級でもなさそうな店だ。女はわざとのように氷の音を立てた。そしてウイスキー注ぐと彼の前にとんと置いて、大仰に声を上げた。
「ママぁ、たすけてよう」
「あらあら、ケイコちゃん、どうしたの?」
そう言って四十女のママがやって来ると、ケイコと呼ばれた女は向こうへ逃げ出した。
「先生、お久しぶりですわね」
「あ、どうも」
伊藤医師は面倒臭そうに会釈を返す。