眠れる森の復讐鬼
最初は母親の裕子が近くのクリニックや病院に色々と連れて回ったが、何の検査をしても異常が全く認められず、最後に診察した内科医が本人のいない所で裕子にこっそり「詐病の可能性があります」と言った。
不登校の学生に多いようで、学校に行きたくない真の理由を隠すために病気を作り出してしまうそうだ。裕子が「でも熱が出るんですよ」と言うと、「カイロを脇に隠して体温計を温める人もいるんです。少し体を熱くしようと思ったらいろんな方法で微熱程度は出せると思いますよ」と医師が言った。
裕子は頭に血が上って「うちの息子はそんな卑怯なことをする人間じゃありません!」と啖呵を切って海智の腕を引っ張って病院を飛び出した。
その後裕子は「病院なんて行ってもしょうがない。自分の力で病気は直すしかない」と言って色々と高価な健康食品を取り寄せては彼に食べさせたりしたが、一向に効果は見られなかった。
果ては何とかというお寺の高僧に祈祷をしてもらったら病気がよくなった人がいるらしいとか、百万円以上もする霊石を身に着ければ邪気が祓えるらしいとか随分怪しげな民間療法に手を出しそうになったので、海智は「もう病気はよくなった」と親には嘘を言って近くのアパートで独り暮らしを始めた。
通信制大学に入学し、八年もかかって何とか卒業したが病気は相変わらずだった。こんな状態では就活もままならない。しかし、本音を言うと、彼の真の望みはミステリー作家になることだった。
ここ何年も外出すら殆どままならない毎日で彼の唯一と言ってよい楽しみは推理小説を読むことだった。と言ってもそんなにたくさんの本を読んだわけではない。何せ読書するだけでも疲れがすぐ襲ってくるので、暇な日でも一日に数時間が限度だった。
しかし、彼はミステリー小説に限って斜め読みはしない。特に犯人探しが目的の小説の場合は、誰が犯人なのか絶対に当ててやるという意気込みで、いちいち頭の中で自分の推理を登場人物に説明しながら読み進めるので、一冊読み終えるのに非常に時間がかかる。悠久の時間を過ごしている彼にとってはよい暇潰しではあった。
だが、次第に読んでいるだけでは飽き足らず、自分でもミステリーを書いてみたいという欲が出てきた。しかし、すぐに職業作家になれる保証なんてどこにもない。バイトをしながら作家を目指すという夢を抱いたが、今のこの健康状態ではそのバイトさえ続けられるか覚束ない。