「そうさ。だがそれは真実じゃない。恐ろしいのはそうした迷妄なんだ。迷妄を解いて本当の俺たちが理解されれば、この村の連中ほど有用な者はいない。ただこの頑強な呪文は、待っていたって解けやしない。だから解きに行くのさ。向こうの権力者に俺たちが正当に評価されること、ここから来たということを伏して先入観も偏見もなく正しく見て評価されること、それがこの呪文を解くすべてなんだ」
「まあな、意味はわかる。お前の意見として今度言ってみろよ、議論の良い切っ掛けになるかもしれん」
青年は気持ちの伝わらないもどかしさに唇を噛んだ。しばらく沈黙したあとに彼は、重い決心を口にした。
「議論するつもりはないんだ。時間がない。とにかく、俺は行くよ」
リリスは腰を落として青年の両肩を掴(つか)むと、淡紅色の目を見開いて彼の目を覗き込んだ。
静かで深い湖水のような瞳がじっとリリスを見て返す。
「駄目だ! 馬鹿も休み休みに言え! 村で一番具合の悪いお前がすることじゃない! かえってみんなに迷惑をかけて取り返しのつかない事態にしてしまうだけだ。それはそれでお前よりももっと適任な奴がいるだろうから、そいつに任せればいいんだ」
リリスのこの言葉に湖面はゆらゆらと波打って窓から差す夕日の輝きを映え返した。
「リリス、聞いてくれ、これは俺の役目だ。俺は昨日、この役目に気づかないまま死んでしまわなかったことを感謝するよ。こんな体で生まれて、この村で何かの役に立っているのかと思い悩む日もあったが、これが俺の役目なんだとやっと気づいたんだ。大袈裟な言い方だが、このために俺は今日まで生きながらえてきたような気さえするんだ。俺だけが握っている鍵がある。誰にも代わりは務まらないんだ」
あのことか、とリリスは思う。
だが、昨日もあわやというところで命拾いをした彼に、この先どれほどの時間が残されているというのだ。
リリスはそれを指折って数えることもできたが、この青年を思い留まらせるためにそんなことを言えるはずもなかった。
【前回の記事を読む】生まれたときから体が弱く、幼い頃からずっと面倒を見てきた弟同然の青年。そんな彼からある衝撃の言葉を聞き…
次回更新は10月17日(木)、18時の予定です。