2018年秋、私は不正行為内部告発事例の通知をもらい、この事例は3年間封印されていたが、その封印が解かれたと告げられた。その結果私は訴えることができることになった。

私は事件解明のための動議を提出した。2019年 4 月11日私は強要と司法妨害について刑法の宣誓供述書を提出した。

本書執筆中も、まだ裁判所からの返答はない。この世の中で司法による公正な裁きが実施されることがあるのだろうか? アメリカ合衆国はすでにジェファーソン的考えあるいはハミルトン的考えを忠実に守るという姿勢は捨て去ってしまっている。

私はよくクリント・イーストウッドの映画『許されざる者』のセリフを思い出す。映画の中でシェリフが命乞いし、俺は死ぬに値するほどの悪いことはしていないと言うのに対し、イーストウッドは「値するかしないかは、これとは関係ない」と答える。

ケントは本を出版して君の言いたいことを述べるという自由はアメリカに残された最後の自由なんだと私に言ってくれた。多分彼の言っていることは正しい。裁判所は腐敗しているし、メディアも政治家も科学者もさらに医者も買収されるか脅されて黙ってしまっている。今は正直な科学者がならず者にされる時代なのだ。

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