高校から東京の音高に
泰子さんは中学三年生のとき、毎日新聞社主催の「第二十三回全日本学生音楽コンクール西部大会本選ピアノ部門中学生の部」で三位を受賞しました。
そのすばらしい成績に、中学を卒業するときピアノの先生から「桐朋女子高等学校音楽科を受験しないか」と言われたそうです。その先生の言葉で受験することにして、見事合格しました。
故郷福岡を離れて、学校の寮生活が始まりました。お陰で、今までできなかった友達が初めてできたと喜んでいました。
泰子さんは高校から順調に大学に進学し卒業しましたが、その後実家には帰らず東京に残りました。もちろん学生用の寮にはいられないので、国立(くにたち)の一軒家の四畳半の部屋を間借りして住んでいました。
その狭い部屋に、泰子さんは実家からグランドピアノを送ってもらったのですが、配達日になっても届きません。配送業者に問い合わせても、何やらごまかされて話になりませんでした。
そこで父親が業者に問い合わせたところ、何と落として壊れてしまったらしいのです。その後何とか解決してもらって、無事に部屋にピアノが届きました。しかしなにせ四畳半ですから、置いたら部屋がいっぱいになってしまいました。
泰子さんは仕方なく、そのピアノの下に布団を敷いて寝ていたそうです。学校も卒業し、何もせずにボーッとしているわけにはいかないので、泰子さんは音楽教室の仕事に就き、ほかに個人レッスンも始めました。
そのお弟子さんに、私の親戚のお嬢さん二人がいて、そのご縁で私とお見合いすることになったのでした。
家の建て替えで音楽ホールを
結婚してしばらくして、子どもが生まれ保育園に行かせるようになると、泰子さんにママ友ができ、その子どもたちがピアノを習いに来るようになりました。
そんな中、自宅が古くなったので建て替えることになり、私の高校の音楽部の先輩で建築士になられた方がいたため、その方を含め数社に設計をお願いしました。
新しい家には、室内で演奏会ができるように小さなホールを作ってもらいたいと思い、それを相談すると、先輩は私たちの希望を取り入れてくれて一番親身になってくれました。
また、彼もピアノを弾く人であったため、その点にも理解があり、私たちの新しい家は、この先輩に設計をお願いすることにしました。
ホールの天井は、元の家の折上格天井(おりあげごうてんじょう)を宮大工に頼んで外して保管してもらい、それを再利用しました。この古い家の面影が、音響にもとてもよかったです。
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次回更新は10月11日(金)、18時の予定です。