丁度、ベートーヴェンとほぼ同じ時代に生き、ベートーヴェンの死んだ一年後に病死している。その遺言により、自分の墓を尊敬するベートーヴェンの墓の隣りに葬るように頼み、遺言どおりウィーン市内の中央墓地に二つ並んで眠っている。芭蕉が、自分の墓を木曽義仲の墓の隣りに葬って欲しいと頼んだ心理とよく似ている。

またベートーヴェンがシラーやナポレオンを、ドストエフスキーがプーシキンを、ニーチェやブルックナーがワーグナーを崇拝したことなどは、お互いの分野を越えても頼もしい限りである。勿論こうした事例以外にも、偉人が偉人を尊敬するケースは歴史上、数多く見受けられる。

ベートーヴェンが、シューベルトの才能を認めたのがベートーヴェンの死の直前であったことが、シューベルトの夭折と共にくれぐれも惜しまれる。

ところで交響曲と言えば、作曲家にとっては自分の生涯のうちでも、その作品に占める位置は極めて重要である。自分の他の作品と比較しても多くは最も力を注いで書き上げたものに違いない。多分、凡てが力作だと自負している筈である。

かの交響曲の父と言われるハイドンは、その生涯のうちで108曲の交響曲を作っている。ただし、最後の交響曲は第一○四番である。これだけの数のシンフォニーを作曲したのは音楽史上あとにも先にもハイドンをおいて誰もいない。尤も、初期の頃にはオーケストラ編成というより、室内楽曲的要素が強く、本来のシンフォニー編成と違って規模も極めて小さいものであった。ただ番号だけはキチッと付加されている。

次に多いのはモーツァルトである。全曲で46曲あるが、番号の付されたものは41曲であり、第四十一番ハ長調K551『ジュピター』が最後の交響曲である。モーツァルトもこれだけ多くのシンフォニーを作曲したが、晩年数ヶ月で作曲したと言われる第三十九番、四十番、四十一番が三大交響曲と言われ、全曲中最も有名になっているのは皮肉なことである。

【前回の記事を読む】ラストシンフォニーにまつわるエトセトラ。各国の著名な指揮者が各自のオーケストラを率いて、数名の作曲家の最後の交響曲を奏でる。

 

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