ラストシンフォニー(最後の交響曲)

ただシューベルトのために弁解すれば、それら未完成作品は、未完の帝王の汚名を払拭すべく、後日必ず完成させる筈だったが、その生涯が自分の想像以上に短か過ぎたのである。

さて、少しややこしいが、交響曲について述べてみると次のようになる。実際、シューベルトが作った交響曲は13曲あり、そのうち断片1曲、スケッチ4曲で、現実に演奏可能なものは、それらを除いた8曲という結論に現在ではなっている。

その経緯について述べると、最も古い番号付けでは、前記ハ長調交響曲は第七番となっていたのだが、それまでのシューベルトの交響曲は、第一番~第六番までしか知られていなかったため、このハ長調は第七番として付加されたに他ならなかったのである。

しかし、未完成交響曲は、ハ長調よりも早く完成されたにも拘わらず、作曲家の死後三十七年ほど経過してから発見されたため、ハ長調の後の第八番に番号づけをされてきたのである。

その後、4曲のスケッチの中の一つホ長調交響曲が、単にスケッチ以上のものであるので、これの取り扱いが問題となり、改めて成立年代順に番号が付され、ホ長調を第七番、未完成を第八番、ハ長調が第九番になっているのが、最も一般的に知られた番号になっていたのである。

ところが、シューベルトの死後一〇〇年以上経ってから、O・Eドイッチュ(ドイッチュの名にちなんで作品番号にはみなDが付されるようになった。モーツァルトのK〈ケッヘル〉番号のように)が年代順に新しく目録を作り直したところ、前記のホ長調交響曲が実際には演奏不可能ということが判り、それを削除せざるを得なくなり、結局、第八番だった未完成を第七番に、第九番だったハ長調を第八番にそれぞれ繰り下げて、最も新しい形で現在に至っている。

大変ややこしい変遷の繰り返しで、最終的にシューベルトのラストシンフォニーは今では第八番ハ長調D944となっているのである。シューベルトの場合、こうした事情から自分のラストシンフォニーの認識は極めて薄かったと考えられる。このように交響曲の付加番号は、一応作曲年代順となっているが、まだまだ謎の部分が多く、いまだに音楽史家を悩ましている。

そのようなシューベルトであるが、三十一歳という短い生涯の中で、歌曲の王と言われるに相応しく、600以上の歌曲を作り、8曲の交響曲を残し、他にも管弦楽曲、室内楽曲、歌劇、宗教曲と多くのピアノ曲を作曲している音楽史上稀に見る天才の一人である。