村人の態度と貧乏への苛立ちによって母の父に対する不満は募り、連日父と諍いを起こした。母の愚痴に苛立った父は食事中にちゃぶ台をよくひっくり返していた。
父は仕事場に行くのに自転車を利用していた。
父の様子がおかしいのに気づいたのは、私達に道で出会っても自転車を自分の意志で止めることができなくなってからである。極度の身体的過労と心労からくる神経症であった。
父の入院で私の家庭は一気に傾いた。兄は優等生であったが病弱であった。弟は身体は小さいが気性が激しく、負けん気が強くて喧嘩ばかりしていた。
私は体格も良く健康で力も強かったが、非常に内気で学校では皆の前では教科書を読むことや歌うこともできなかった。人前でトイレに行くことすら大変な勇気を必要とした。
学校での私へのいじめは陰湿であった。弁当の中に泥を入れられたり、教科書に落書きされたり、待ち伏せされて石を投げられたりした。私は力が強かったので、彼らが暴力を加えようとしても、逆に私に簡単に投げ飛ばされるだけであった。
同学年での勝ち抜き相撲時は三十人以上に勝っても疲れなかった。しかし、私は勝ち負けの勝負事が嫌いであった。それと自分が目立つこともである。
父が知り合いからもらってきたクロという子犬がいた。私にはクロがいれば友達などは必要なかった。家庭と村との関係や学校のことも忘れさせるほどの強い絆で私とクロは結ばれていた。
父が入院するとすぐに母は働きに出始めた。家にはたまに帰って来たり来なかったりといった生活になった。外で仕事を始めた母は化粧をするようになった。始めはさほど遠くない場所で勤めていたのか、見知らぬ男が家によく遊びに来ていた。
私達に飴とかお土産を持ってきていた。どの男達からも生臭くいやらしい匂いがしていた。そのうちに、母はほとんど家には帰らなくなってきた。
子供三人の生活が始まった。私は小学四年になっていた。兄が五年、弟はまだ一年生だった。この頃には学校の給食が始まっていた。だが、日曜や休日は私達の食う物は家には何もなかった。
秋を過ぎると自然の果物もなく、村の畑やお宮様のお供え物や魚取りが私達兄弟の生活の糧となった。弟は父の病院に行っては、父の食事を分けてもらったりしていた。
この頃にはすでに私達兄弟に対する村八分が露骨に行われていた。村の親達が自分の子供達に私達兄弟と遊ぶことを一切禁じたのである。
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