源五郎は旅の行商人と別れると熊吉とつき丸を連れ、人が賑わう中へと入っていった。
かき分けるように人込みの中を歩いていると、
「こんな鐚銭(びたせん)駄目だよ!」銭を突き返す店主に、
「撰銭令(えりぜにれい)を知らんのか?」
「とにかく駄目なもんは駄目だ!」
などと乾物(かんぶつ)を扱う男と、商人らしき者が言い争っている。
「何の言い争いだ?」小声で源五郎は熊吉に訊ねた。
「質の悪い銭の事を鐚銭って言って、みんな嫌うんでごいす」
この頃使用されていた貨幣は、江戸時代以降の統一された貨幣ではなく、大陸から持ち込まれた宋銭や明銭などが併用され、悪質な私鋳銭や粗悪な渡来銭、判別が困難なほど摩滅し劣化した銭なども流通していた。
民衆は取引き上この鐚銭(悪銭とも言う)を嫌い、良銭を撰ぶ撰銭が行われ円滑な流通に支障をきたしていた。
それは同じ価値として受け取った銭が、自分が支払う段に価値が下げられたり、受取りを拒まれたりする可能性を恐れる民衆心理があったと言えよう。
幕府も多くの大名も撰銭令を発令したが、その支配が地域的である事や、鐚銭を排除しようとする民衆が多くいた為、その効果は薄いものだったのである。
「城にいたのでは分からぬ事ばかりだな……」
源五郎は皿や器などの木工品や、店頭の「三才丸(さんさいがん)」「牛黄丸(ごおうがん)」などの下痢用の漢方薬などを見て廻っていると、正面から牢人が歩いて来るのに気が付いた。
まだ仔犬のつき丸を、人に蹴飛ばされたり踏みつけられないようかかえていた源五郎は、熊吉に言われた、
源五郎様は牢人には見えませんでごいすな……。
との事から、本物の牢人とはどのような者か? 相手に気づかれないように菅笠の陰から盗み見た。