源五郎出奔

氷川神社を発ち西へ西へと歩き続け、陽が高さを増し街道をじりじりと照りつけて陽炎(かげろう)が立ち始めた頃、うだるような暑さに辟易(へきえき)した源五郎は木陰に熊吉を誘い、「少し休もう」懐から手布を出し、額と首の汗をぬぐった。

「こりゃ~たまりませんでごいすな~」

晴れ渡る空を見上げながら熊吉がぼやき、つき丸は舌を出し激しく息をしている。

そんな街道横の木陰で休む彼らの前を、場違いなほど多くの人びとがこの先を目指して歩いていた。

「祭りか何かあるでごいすかね?」

「行ってみよう」源五郎一行は再び歩み出し、一刻も炎天下の街道を進み続けると起伏に富んだ複雑な地形の谷間に、大きな集落が見えてきた。

その街道から入った村の一画に市(いち)が立ち、陽炎に揺らいでいる……。

源五郎はたまたま横を通り過ぎた旅の行商人らしき者をつかまえ聞いた。

「これは何だ?」

「指扇村(さしおうぎむら)の辰(たつ)の市(いち)です」

「辰の市?」

「へぇ、指扇は辰の日に市が立ちますんで……」

戦国のこの頃、交通の要衝や湊(みなと)、都だけでなく農村にも市が立ち、農産物は無論の事、手工芸品や他国から持ち込まれた様々な品物が売り買いされていた。

市には決まった干支の日に立つ「酉(とり)の市」や、「辰の市」、月に何回か決まって立つ定期市、「三日市」や「五日市」などがあり、指扇村の市は戦国時代に武蔵国東部で用いられたと考えられている「市場之祭文(いちばのさいもん)」の中に、その名を見出す事が出来る。