地震予知―その絶望と希望

私は地震学者でも研究者でもないが、NTTに在職していた20年程前に、後述の「地殻変動監視システム」に出合い、1ユーザとして、このシステムから得られる「地震の前兆」情報こそ、当面本格的な「地震予知」に代わって、大地震・津波から多くの命を救う手段ではないかと確信したのであった。

そこで、本書の第1章『140年も前に“こうすれば地震の予知は可能だ”と提言した人々!』では、いわゆる「お雇い外国人教師」であるイギリス人ジョン・ミルンによって提唱された「日本地震学会」の設立からスタートし、戦後に盛り上がった東海地震の予知に至る日本の「地震予知の歴史」を概観する。

驚くべきは、日本の地震予知研究がスタートした当初から、一貫して先人たちが着目し情熱を注いでいたのが、「地殻変動の連続観測」による地震の「前兆現象」の捕捉であった、との史実。

第2章・第3章では『「地震予知」の絶望―前編・後編―』として兵庫県南部地震と東北地方太平洋沖地震を予知できなかった地震学者とそれをとりまく人々の絶望や葛藤を描く。

21世紀に入り、先人たちの長年の夢であった24時間365日の、自動的な「地殻変動の連続観測」が実現する一方で、何故か「前兆現象」捕捉による「地震の予知・予測」の灯がみるみると消えていく、という不可思議な事象があった。

第4章では『「地震予知」の希望!』として、電子基準点、 GPSなど最新の位置測定技術を駆使した「地殻変動監視システム」と、結果としてこれによって得られた、過去20年間の国内の大地震等の衝撃的な前兆情報をご紹介する。

「地殻変動監視システム」はもともと、地震の予知・予測を目的に開発されたものではないが、利用サイドの工夫次第で確実な「前兆情報」の獲得手段として、活用が期待される。

第5章『大震災の惨状!「前兆情報」があれば!』では、直近の阪神・淡路、東日本大震災での悲惨な実例の中で、もしこのシステムが活用されていれば、との思いを伝えたい。

そして、第6章『終章 ―前兆情報が生きる時代に―』では、このように可能性のある「前兆情報」を、次の大地震・津波、火山噴火から一人でも多くの命を救うためにどう生かすか?を考える。

「突然」では救助用の資機材は確保できないし、防災無線の故障に気付けない。要救助者(高齢者・障害者など)の対応も思うようにはいかない。「突然」ではこれからも3.11と何も変わらないだろうし、第一線の自治体には、またしても悲惨な事態が想像される。

「天災は忘れた頃に」ではない社会の実現を!

「140年にわたる我が国の地震予知研究」を概観すると、各時代に共通するのは、「一人でも多くの命を救いたい」と言う学者・研究者たちの情熱・思いである。

他方、本テーマの社会的性格から、その予知の精度を求めるあまり自縄自縛となってしまい、「一人でも」という原点が関係者の議論のテーブルから消えてしまいがち、とは言いすぎであろうか。

寺田寅彦は東京帝国大学教授であり地震研究所の所員でもあったが、「地震予知」には懐疑的で、「天災は忘れた頃にやってくる」と言ったことで知られている。

当時の日本では、自然災害を未然に防ぐための気象予報も十分ではなかったことから、「天災は……」となったのは当然のことであったが、今や気象予報は時々刻々と、精緻な情報の入手が可能となった。これに「地震の前兆情報」が加われば、「天災を忘れることのない社会」「災害新時代」を世界に先駆けて実現できると思う。

そして、「次の大地震・津波が来るまでに」、本書ができる限り沢山の方々の目に触れることを心より願うばかりで、内容の拙速はどうかお許し頂きたい。

2024年3月

事業創造大学院大学      

客員教授(防災士) 佐 藤 義 孝


(1) 気象庁 http://www.jma.go.jp/jma/kishou/know/faq/faq24.html# yochi_1 

次回更新は10月4日(金)、8時の予定です。

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