第1章 
140年も前に“こうすれば地震の予知は可能だ”と 提言した人々!

明治政府のお雇い英国人教師ジョン・ミルンや東京帝国大学の今村明恒等は「地震予知方法の決定打は地殻変動の連続観測である」と考え、みずから観測機器を開発、さらに私財を投げうって観測も行った。

今から140年以上も前に「こうすれば地震の予知は可能だ」と訴え、実践していた研究者たちがいたことには驚くばかりである。

先達の生涯をかけた、地震予知への思いと行動を紹介したい!

1.ジョン・ミルンの提言と「日本地震学会」の誕生

古来より東西の地震国では「地震の予知」は科学者のみならず哲学者、文化人にとっても最大級の関心事であった。

日本の「地震予知研究」は1880年にスタート!

我が国で、本書のテーマである「地震の予知・予測」が学術的にスタートしたのは、1880年(明治13年)3月11日、いわゆる「お雇い外国人教師」であるイギリス人ジョン・ミルン(1850年~ 1913年)等によって提唱された「日本地震学会」の設立に始まるといわれる。

同年、2月22日に発生した「横浜地震」(M5.5 ~ 6.0、横浜で煙突の倒潰・破損が多く、家屋の壁が落ちた。東京の被害は横浜より軽かった。理科年表2024)は大地震ではなかったが、地震の経験のない居留外国人たちに大変な恐怖を与え、真剣に本国への帰国が話し合われたという。

これが直接のきっかけとなって設立された「日本地震学会」。

『1881年12月現在の会員名簿によると会員は117人で、その大部分は外国人であった。日本人会員は3分の1弱の37人にすぎなかった。

外国人会員の中には地質学者のナウマン、博物学者のブラキストン、日本古美術を世界に紹介したフェノロサ、地震計の開発で知られる英国人のユーイングら多彩な名前が見える。』(1)当時、開国早々の日本に滞在していた海外知識人たちの、我が国の急激な変革に対する熱気を感じる。