1章 人生の転機に人は母校を訪れる
あさみにとって、理想を追うという点で勉学には重い価値があったけれども、他の者達は髪形のほうにずっと重い価値を置く。
おそらくその違いだけなのだ。
理緒子にとって、重い価値はどこにあったのか。勉学はたまに時間を作ってパラパラとめくればいい、彼女には顔を洗うのと同じ軽さの日課の一つ程度だったのかもしれない。
彼女が重きを置いたのはユーモア、それから真実――誰も考えてみようとしない方向から見る真実だ。
理緒子は家庭でも、そして学校でも、恐れるということを知らなかった。彼女はときどき職員室に入り込み、机がひしめく狭い通路を文字どおり四つん這いになって這って歩いた。
めぼしい話を盗み聞きしようというのだが、先生方は「そら、来ましたよ」と教え合って、スカートを引きずった理緒子の猫みたいな格好に笑い興じた。
叱らない理由はただ一つ、それが理緒子だったからだ。
他の生徒が言ったりやったりしたのでは通じない大胆なジョークも、理緒子の場合には理解され、歓迎だってされる。なんて得な性格だろう、とあさみはいつもうらやましかった。
理緒子がしっかり地に足をつけて世界を笑っていたのに対し、あさみはさまざまな出来事に翻弄され、悩むか、またはふわふわと夢を見て、心が宙を舞っていた。おとぎ話や詩をつくり、愛を夢想し、雰囲気や情感に酔いしれて多感な日々を過ごしたのだ。
特に高校時代は全身、全神経、全感覚でもってあたりの空気、自然、人々の鼓動を感じ、朝起きてから夜寝るまで感動していた。心臓はわけもなくドキドキし、頭の中はぼうっとかすみ、体を巡る血はまるでポップコーンが中で跳ねてでもいるかのようだった。
そんな状態の気持ちを現実の教科書に向けるには、したがって並大抵でない意思が必要なのだった。